先日3月11日は東日本大地震が起きた日。13年前の話となった。筆者は関西在住なので実体験としては阪神淡路大震災の方が印象は強烈だったが、それでも3.11の際はとても大きな衝撃で、「生きている間に同じような震災がまた起きたのか」とモヤモヤした気分が続いたことを覚えている。
だが、その記憶もだんだんと薄れていっているのも事実だ。直接体験していない東日本大震災もだが、29年前に職場でもあった被災地神戸を目の当たりにした阪神淡路大震災も、やはり生々しい記憶というものが薄らいできている。
これは私自身の記憶力の問題(もあるのかもしれないが…)ではなく、人とはそんなものだ、と思っている。
阪神淡路大震災の後は、マイホームを買う際にほとんどの人が活断層の位置を大変気にかけていた。今もマンションデベロッパーは調査もするし、気にかける個人の方もいらっしゃるが、活断層の位置を住宅選びのチェックポイントにあげる人は随分と少なくなった。
東日本大震災の際は、液状化による埋立地の脆弱性、帰宅難民の発生による都心居住への評価、停電でエレベーターが停まるリスクを考えての高層住戸への懸念などがあった。液状化リスクや停電リスクは技術的に克服された面もあるが、都心居住に関してはコロナ禍においての三密回避やリモートワークにより通勤負荷の軽減で、郊外居住が見直され少し潮目が変わりかけた。しかし、コロナ禍収束後の相場を見ればわかるようにむしろ都心部の不動産の方が買われる結果となった。
ちなみにこの現象は民泊・ホテルについても同じで、コロナ禍が騒がれ出した頃は将来を悲観した投げ売りもちらほらあったが、その後はむしろ「下がった物件を買いたい」という顧客が増え、むしろ価格は上がった。
天災は忘れた頃にやってくる、とは寺田寅彦の言葉。自然災害は被害の恐ろしさを忘れた頃に再び起こるという戒めだ。逆に言えば、震災の時に取り沙汰されたことは案外と忘れ去られてしまうと。不動産の相場の流れを読む際は、「この災害で〇〇が変わる」などの煽動的な言葉に踊らされることなく、確実なこと、例えば阪神淡路大震災の発生によって見直された「新新耐震」のような変化を押さえておくべき。「zoomブースの有無」などよりも将来的な人口動態等が不動産相場の上下には寄与している。