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NO.313
東京都目黒区自由が丘の特徴
東京都目黒区「自由が丘」の特徴とマンション

東横線・大井町線開業にともなうターミナル駅が“自由の街”を呼んだ

 自由主義教育者である手塚岸衛(てづか・きしえ)が、その理想を掲げて1930年(昭和5年)に創設した私立男子高校「自由ヶ丘学園高等学校」に由来する駅名および町名が現在の「自由が丘」だ。戦後、高等学校と中学校の男子校に改編されて現在に至る。

 自由主義教育を目標に掲げ、手塚岸衛が荏原郡碑衾町に設立した「自由ヶ丘学園」。地主で「衾西部耕地整理組合」の組合長でもあった栗山久次郎の協力もあり、小高い丘の上に開校した私立学園だ。

自由主義を標榜する丘の上の私立学校の名に由来する街

 手塚岸衛が1936(昭和11)年に亡くなると、1937(昭和12)年に「自由ヶ丘学園」の小学校と幼稚園を引き継いだ「トモヱ学園」が開設。同学園は、同校出身者である黒柳徹子の著書『窓ぎわのトットちゃん』(1981年)によって紹介された「リトミックによる創造教育」を実践したユニークな学校だ。著作内にある現・東急東横線の廃車車両を教室として使用していた時期もあったという。

 このように私立学校の名に由来する目黒区の南部に位置する自由が丘は現在、1丁目から3丁目で構成される街だ。東急電鉄の大井町線と東横線が交差する地点が自由が丘1丁目の「自由が丘駅」だ。鉄道交通利便性は高く、自由が丘周辺は都城南地域を代表する高品位な住宅地とされる。同駅は1927年(昭和2年)東横線の開業にともない近くの古刹である九品仏浄真寺にちなんで「九品仏前駅」として開業した。

 1929年(昭和4年)、大井町線の開業に伴い、より寺に近い場所に「九品仏駅」が設置されることになったため、当時の駅所在地が碑衾村大字衾(ふすま)であることから「衾駅」に改めるはずであったが、ちょうどその頃に地名の大字が自由ヶ丘に改称、これに合わせて「自由ヶ丘駅」に変えた。先の大戦中には「自由」という名詞が時代に即さないとして町名改称の動きもあったが、“自由”は住民らによって守り通されたという。その後、1966年(昭和41年)に「自由が丘駅」に表記を改めた。

昭和になって商業施設が相次いで開業

 自由が丘駅の開業以降、次第に周辺は商店が開業、賑わいを増す。1931年(昭和6年)頃より各商店街通りで商店会が結成され、「自由ヶ丘商店会連合会」も組織された。

 1938年(昭和13年)、駅前に菓子店「亀屋万年堂」が創業する。同店が1963年(昭和38年)に発売した「ナボナ」は、1967年(昭和42年)「ナボナはお菓子のホームラン王です!」のキャッチで巨人軍の王貞治選手がテレビCMキャラクターとして出演したことで有名商品となった。“スイーツの街・自由が丘”のはじまりだ。亀屋万年堂は現在でも創業地で営業しており、未だにそのナボナは看板商品である。

 また、戦後間もない1945年(昭和20)年、洋菓子店「モンブラン」が「碑文谷駅」(現:学芸大学駅)付近から移転してきた。「モンブラン」は1933(昭和8)年創業、日本でのケーキ・モンブラン発祥の老舗とされる店だ。現在の“スイーツの街”の元祖は、「亀屋万年堂」と「モンブラン」のふたつだといわれる。毎年春の大型連休には、「自由が丘スイーツフェスタ」が開催され、“夢スイーツコンテスト”など多彩なイベントが開かれる。

 1982年(昭和57年)、フランスのファッション誌『Marie claire』の日本語版『マリ・クレール・ジャポン』(中央公論社・当時)が創刊となった。日本版『マリ・クレール』は、自由が丘の隣街、緑が丘出身の編集者・文芸評論家のヤスケンこと安原顯を副編集長に据えるなど、その編集スタイルが文芸誌に近いハイ・カルチャー誌の要素を持った女性誌で、「自由が丘南口商店会」ではイメージ向上や来街者の増加を狙って同誌と提携、1984(昭和59)年、南口駅前通りの愛称が「マリ・クレール通り」となった。

 一般的な認識として目黒区自由が丘と世田谷区奥沢、等々力に広がる商業住宅地が、自由が丘地域として認識されることが多い。雑誌などのアンケートでは「住みたい街」として上位にランキングされることもたびたびである。街並みは欧州的といわれており、女性に人気のある街という評価・意見も多い。

駅前再開発計画も進行中だが

 ただ、自由通りや学園通り、すずかけ通りなどの周辺道路は狭隘で、路上駐車の問題、東横線や大井町線踏切による慢性的渋滞など、道路交通面で抱えている問題は多い。これらを解消しようと駅周辺道路の拡幅を含めた道路整備構想などもあるが、いずれも地元の反対が強く、実現の目処は立っていない。

 東京都目黒区は、自由が丘1-29地区再開発準備組合による街づくりの提案を受け、「自由が丘1丁目29番地区第一種市街地再開発事業(案)」を取りまとめた。延べ約4万3200平方メートルとする建築物の想定規模は、2月にまとめた「原案の案」から変更はない。区は5月ごろにも原案の縦覧と意見募集の開始を目指す。
 再開発事業の計画地は、東急東横線・大井町線自由が丘駅の北西に隣接する約0.5ヘクタール。ヒューリックと鹿島が事業協力者として参画している。計画案によると、建築面積は約3400平方メートル、高さの制限は60m、主用途は店舗、事務所、住宅、駐車場を想定する。

 エリアでは、その自由が丘1-29地区に加え、1-30の一部、2-10~12を対象とする約3.1ヘクタールの「自由が丘駅前西及び北地区」も昨年12月、街並み再生地区の指定を受けた。都の「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」に基づく街区再編まちづくり制度を活用し、共同建て替えなどを誘導できる。
 目黒区によると、8月ごろに地区計画を都市計画決定後、再開発事業を都市計画決定する予定だ。また、西及び北地区内で、自由が丘1-29地区以外のエリアを対象に、引き続き地権者によるまちづくりの検討を進めるという。

  • 著者:吉田 恒道
  • (公開日:2020.07.30)
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