明治神宮が変えた原宿、戦後の米軍関係者で大きく変化、その後マンションブーム
JR原宿駅交差点から東京メトロ表参道駅にいたる表参道に面したエリアを「原宿」と呼んでいる。おおむね現在の渋谷区神宮前1丁目から6丁目に住居表示されるエリアだ。狭義で原宿と呼ぶエリアは表参道両側と竹下通りに加えて、キャットストリート(旧渋谷川遊歩道)周辺だ。
1965年(昭和40年)までの残っていた町丁名「原宿」は、原宿1丁目から3丁目まで構成された町域であり、表参道の北側、現在の神宮前1丁目から4丁目が相当する。だた、JR原宿駅は当時、隠田3丁目であり、竹下通り商店街周辺は竹下町と呼称されており、原宿の町域外であった。また、広義で「原宿」として認識される地域のうち、明治通りや旧渋谷川(キャット・ストリート)と呼ばれる遊歩道などに近い谷の地域は隠田(おんでん)と呼ばれていたエリアだ。
江戸時代、甲州街道の南で現在の神宮前4・5丁目に、江戸城の防衛にあたる安芸藩主・浅野家の江戸屋敷のほか、多くの幕臣の屋敷が連なっていた。
1906年山手線が延伸で原宿駅開業、明治神宮創建で大きく変わる
原宿が大きく変わるのは、山手線が延伸され1906年(明治39年)に原宿駅が開業してからだ。表参道は明治神宮が創建される前年、1919年(大正8年)に東京市が整備した。その設計において、冬至の朝、明治神宮から起点の国道246号・青山通りの交差点方向に向かって、表参道には道路の延長線上から真直ぐ太陽が昇る構造とした。
表参道の街路樹はケヤキ並木で、クリスマスのイルミネーションが有名だが、明治神宮鎮座時には街路樹は無かったという。翌年になってケヤキの若木200本が、植樹されたと伝わる。
1927年(昭和2年)、表参道北側、現在の表参道ヒルズの敷地に財団法人による「同潤会・渋谷アパート」が完成。鉄筋コンクリート3階建て10棟のアパートは当時、軍人や高級官僚、大学教授などしか入居出来ない高級集合住宅だった。
第2次大戦では、東京大空襲などで表参道も甚大な被害を受け、多数の死者を出す。表参道一帯も焼け野原となった。しかしながら耐火・耐震構造の同潤会青山アパートはこの戦禍にも耐えて焼け残り、鉄筋コンクリート建築が、都市の防火帯となり、同潤会アパートの性能の高さを証明した。1980年代初頭から再開発計画が森ビルと三井不動産のジョイントで始まり、「表参道ヒルズ」の完成に繋がった。
終戦後、同潤会アパートはそれまでの所有・管理者だった同潤会から東京都に移管され、1950年には居住者に払い下げられた。個人の所有となったアパートは、その後の表参道の発展とともに所有者が移転して1980年代のバブル経済絶頂期には億の単位で取引されたという。
代々木公園「ワシントンハイツ」の住民たちで賑わい、マンションブーム到来
原宿も太平洋戦争の東京大空襲で焦土と化すが、戦後に代々木練兵場跡地に米空軍従軍平の家族が住むアメリカの街「ワシントンハイツ」がつくられ、原宿周辺には米軍兵とその家族のための商店が出来はじめる。お洒落なおもちゃ店・キディランドや東洋的な家具・小物を扱うオリエンタル・バザーがオープンしたのはその頃のこと。
1960年代になって日本でも集合分譲住宅としてマンション法が施行される。それに伴った「第1次マンションブーム」が都心で起き、高級マンションが相次いで建築された。もともと高級住宅地だった原宿では、都内でも早くから高級マンションの建設ラッシュが起きる。
1958年(昭和33年)、第一生命住宅(現在の相互住宅)が原宿駅前に建築した「原宿アパートメンツ」や、1960年(昭和35年)に竣工した、明治通りと表参道の交差点に面して建てられた「セントラルアパート」(現・東急プラザ)がその代表だ。
また、その5年後の1965年、第1次マンションブームにおける高級マンションの代表例が国土計画本社の並びに完成した、日本初の億ション「コープオリンピア」だ。さらに同年、富士アパート分譲による「グリーン・ファンタジア」、そして「パーク・ハイツ」、1966年(昭和41年)には「コープ・オリンピア・アネックス」と表参道沿いに高級マンションが軒を連ねる。コープオリンピアについては、幾度も建て替え計画が示されながら動き出す気配はない。
原宿駅の改良・新築と駅前再開発が進む
原宿駅前では、前述した1959年竣工の「原宿アパートメント」を含む周辺の土地を一体的に建て替える計画が進行している。この場所は、明治神宮の参道として由緒ある表参道と、若者文化の発信地ともいえる竹下通りとをつなぐJR原宿駅前にあり、上層部からは明治神宮や代々木公園の緑を望むこともできる眺望にも恵まれた立地だ。
この原宿駅前プロジェクトでは、単に商業・住宅の複合施設を建設するだけではなく、建物内を来街者が通り抜けられるように設計し、表参道から竹下通りへ抜ける新たな動線を生み出す。通り道をつくることで、人の回遊性を高めることを目指した「道の建築」ともいえる開発計画だ。
竣工する建物は地下3階・地上10階建てで、店舗やオフィス、イベントホール、住宅、駐車場からなる複合施設。2020年6月開業となっている。
同時にJR原宿駅の改良工事も進んでいる。1924年に移設されて出来た原宿駅は、明治神宮の玄関口であるが、基本的に開業当時と変わらず、ホームや改札内のコンコースが非常に狭く、ラッシュ時や大規模イベント時の混雑が課題となっていた。そこで、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに対応するべく、2016年からJR東日本による改良が進められている。原宿駅そのものの建て替え、上層階には商業施設も入居する計画も示されている。
ただし、JR原宿駅はJR国立駅とならんで、都内においてJR最古の木造駅舎であるため、建て替え工事に異を唱えている人も少なくない。事実、JR東日本社長や渋谷区長宛てに、日本建築家協会(JIA)や原宿神宮前まちづくり協議会といった団体から要望書が寄せられるなど、駅舎保存を求める動きも活発化している。