ニッポンの自治体

NO.248
京都府八幡市の特徴
京都府「八幡市」の特徴とマンション

平安京を鎮護する目的で建立した石清水八幡宮に由来する街

 京都府八幡(やわた)市は、京都府の南西部、木津川・宇治川・桂川の3つの川が合流して淀川となる地点に位置し、大阪府境に接している。京都市、大阪市という2大都市の中間にあって、交通至便な立地条件を持った自治体だ。北部から東部にかけては、島本町・大山崎町・京都市・久御山町・城陽市と、南東部は京田辺市と、西部は枚方市と接している。日本全国に「八幡」が付く自治体は多いが、同市と同じ読み方「やわた」とする市には、愛媛県八幡浜市がある。

 東西約6.7km、南北約8.5kmで、面積は24.35平方キロメートル。京都市・久御山町・京田辺市の区域内に飛地が存在する。
 市域西部の男山から南部の美濃山地域にかけて、なだらかに起伏した丘陵地が広がる、おおむね平坦地で形成され、平地部には、一級河川の大谷川、防賀川が流れ、また、中央部から東部にかけては、田園地帯が広がる。

京都府・八幡市のマンション

 2018年、京都府・八幡市で販売された中古マンション相場価格は1470万円~2240万円だった。

 2019年1月現在、京都府八幡市の人口は、同市の発表によると7万1366人で、そのうち外国人は1127人だ。総世帯数は3万2844世帯である。
 国勢調査によると1970年代に人口が5万人を超え、1977年(昭和52年)11月に市制を施行、京都府内で11番目の市となる八幡市が誕生した。その後も人口増加を続け、1993年(平成5年)1月末日現在7万6467人となりピークアウト。以降は漸減し、現在は7万人強程度で推移する。

日本三大八幡宮の石清水八幡宮が建立され、門前町として発展

 八幡市の歴史は古く、市域の南西部丘陵地から約2万年前の石器が出土しており、すでに旧石器時代には人が生活していたことが分かっている。また、弥生時代や古墳時代の遺跡などが市域全域に分布している。
 古代から近世に至るまで、交通手段として木津川や淀川の水路が利用され、陸路として古山陰道、東高野街道、京街道が整備され、同市は山陰や奈良、京都への交通の要衝として重要な役割を担ってきた。

 貞観元年(859年)、災いや戦乱をしずめ、国の平安を守り平安京を鎮護する目的で、九州から八幡神が勧請され、男山に石清水八幡宮が建立され、その門前町として発展した。市名の由来は、まさに日本三大八幡宮の石清水八幡宮である。

 江戸時代初期、寛永三筆のひとりと称される松花堂昭乗が石清水八幡宮の坊舎に住み、当代の著名な文人たちと集い、書道・茶道・和歌などを介して文化を発信した。
 江戸時代から明治期にかけては、農作物の開発や栽培が盛んとなり、京都・大阪の近郊農村、豊かな耕作地が広がる田園地帯として発展した。また、門前町として商業的にも安定し、発展を続けた。

鉄道の開通、戦後の経済成長で都市近郊のベッドタウンへ

 明治末期になると市域の北端で鉄道が開通し、交通手段の発達に伴って、淀川水運の役割は次第に低下する。
 1889年(明治22年)、町村制施行によって、現在の市域に八幡町、都々城村、有智郷村が設けられ、1954年(昭和29年)、この3町村が合併して人口1万6000人の新しい八幡町となった。

 1960年代、高度経済成長期における京都・大阪都市圏の広がりは、近隣地域のベッドタウン化をもたらす。八幡市は、2大都市圏の中間に位置するという立地条件もあって住宅地として脚光を浴び、1970年代には都市基盤整備公団(現在の都市再生機構)などによる男山団地やくずはローズタウンの開発が進められ、人口が急増する。

 同市内に鉄道駅は3駅あり、京阪本線八幡市駅、橋本駅、京阪鋼索線(こうさくせん)の男山山頂駅。八幡市駅には急行・準急・普通が、橋本駅には準急・普通がそれぞれ停車する。鋼索線は、主に市内随一の名所である石清水八幡宮への参拝客が利用する。

 余談であるが、発明王のトーマス・エジソンが世界初の白熱電球を開発した際、八幡市の竹をフィラメントとして使って成功したことで有名。同市内にはエジソン記念碑とエジソン通りが存在する。また、エジソン生誕の地である米国オハイオ州のマイラン村と1986年に友好都市協定を結んでいる。

  • 著者:吉田 恒道
  • (公開日:2020.01.06)

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