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日本屈指の繁華街・新宿、巨大ターミナル「新宿駅」改装でどう変わるのか?
新宿は云わずと知れた日本を代表する繁華街だ。なかでも1丁目から3丁目エリアは、その中核といえる。江戸時代に甲州街道の最初の宿駅・内藤新宿として成立後、関東大震災を経て、人口増加をみせた東京西部にとって、利便性の高い新宿駅が一大拠点となった。
江戸の宿駅、内藤新宿の周辺は、玉川上水の水番所が置かれていた四谷大木戸の西、現在の新宿駅付近までの街道沿いに広がっていた。さらに新宿追分(現在の新宿3丁目交差点付近)から青梅街道が分岐し、江戸の新たな行楽地として発展した。
江戸の幕府開幕により、甲州街道は日本橋から甲府までの主要街道として整備され、その第一の宿場は高井戸であり、やや遠く旅人は難渋したとされる。そのうち、現在の新宿2丁目近辺に人家ができ、1625年頃の寛永年間に太宗寺門前に町屋ができ、内藤新宿と呼ぶようになった。甲州街道や成木街道(現在の青梅街道)を利用する人の休憩所として利用された。
新宿の名称由来「内藤新宿」
新宿という地名の由来、内藤新宿は現在の新宿1丁目、2丁目、3丁目界隈に、浅草阿部川町の名主高松喜兵衛ほか5名が幕府に願い出て許可され誕生した。町丁は内藤新宿上町・中町(仲町)・下町に分かれており、現在の新宿2丁目や太宗寺門前あたりが中町(仲町)だった。内藤新宿は江戸四宿のひとつで、木賃宿や旅籠が軒を並べていた。なかには飯盛旅籠という飯盛女と呼ぶ遊女を置く旅籠も多く、記録によると内藤新宿に150人の飯盛女を置く旅籠屋52軒の営業の許可を幕府が出している。
いっぽう明治以降、新宿エリアの武家地は荒廃する。そこで、広大な敷地を誇った信濃高遠藩内藤家の下屋敷は大蔵省によって買い上げられ、海外から持ち込まれた動植物の適否を試験する「内藤新宿試験場」となる。1879年(明治12年)には当時の宮内省の所轄となり「新宿植物御苑」と改称された。これが現在環境省の管轄となり、話題沸騰の“桜を見る会”の会場となる「新宿御苑」だ。
明治に入って幼少期の文豪・夏目漱石が、内藤新宿の門前名主塩原昌之助の養子となって内藤新宿北町裏に住んでいたという。その後、太宗寺南側の内藤新宿仲町(内藤新宿2丁目)にあった遊郭「伊豆橋」で生活していた。漱石の自伝とされている長編『道草』に、子供時代の漱石が太宗寺の銅造地蔵菩薩坐像に登って遊んでいたことを示す描写がある。
関東大震災で変わる街並み
1923年(大正12年9月1日)に発生した関東大震災は、東京および南関東に甚大な被害を与えた。その後に新宿が興隆をみせたのは、それまで東京の中心だった銀座や浅草に比べて表層地盤が強固で被害が軽微であったことが大きい。そのため震災後、新宿以西のエリアに移り住む住民が増えて人口が急増する。その新しい住民にとって甲武鉄道(現在の中央線)・日本鉄道品川線(現在の山手線)新宿駅はきわめて至便で、さらに1915年(大正4年)に京王電気軌道(現在の京王線)が開通し、新宿駅周辺は戦前に、すでに都内随一の歓楽街となっていた。
震災後には、私鉄各社からの乗り換え可能な新宿駅がターミナル駅となり、昭和初めには小田急電鉄や西武鉄道も乗り入れ、新宿は都内有数の繁華街となった。伊勢丹新宿本店や新宿中村屋、高野フルーツ店&パーラーといった現在に続く名店をはじめ、多くの映画館や劇場、カフェなどが集中し人々で賑わう。
先の大戦で新宿も大きな被害を受けたが、前述のとおり銀座や下町の浅草などに較べると被害は軽微だったという。新宿駅周辺には戦後すぐに闇市が立ち、新宿の商業都市としての先駆けとも言える活況を呈した。しかし、この闇市、当局による撲滅対策で1950年ごろには姿を消す。代わって、戦前からの小売店も次々と再開、新規開店も活発化し、新宿駅東口を中心にした商店街は戦前にも増して活気で満ちあふれた。
繁栄の拠点は新宿3丁目
1952年に新宿駅は日本一の乗降客を誇る大ターミナル駅となった。以来、駅周辺は日本でも有数の繁華街となり現在にいたる。
その新宿3丁目界隈は、新宿地区最大の繁華街といえる。新宿駅の東側は老舗百貨店の伊勢丹新宿本店やマルイ、ビックロ(ビッグカメラ+ユニクロの複合店)や紀伊國屋書店、多彩な専門店などが密集し、昼夜を問わず人波が途絶えることはない。駅東口近くにあるアルタ前や中央東口交番、紀伊國屋書店は、新宿でも屈指の待ち合わせ場所となっている。
2020年1月現在、新宿1丁目から5丁目のエリアには、それぞれ順に4110人、1210人、145人、286人、2648人、合計約8400名の居住登録があり、3・4丁目を除いて一定の住民が住まう。
2018年に東京都と新宿区による「新宿の拠点再整備方針~新宿グランドターミナルに一体的な再編」と題した、2040年を見据えた再整備計画書を出した。そこでは、新宿駅直近地区の整備方針、周辺地域との交流や回遊性向上に資する都市基盤の整備方針の検討が示されている。新宿駅ターミナルの再整備で、複数の駅と駅前広場も含めて一体的に整備することで、国際交流都市の玄関口としてふさわしい整備を行なうという。
新宿3丁目は国内屈指の商圏だ。JRをはじめ西武新宿線、東京メトロ丸ノ内線、副都心線など7路線8駅が連接する。また、東西南北への交通の利便性が非常に大きい新宿3丁目駅。今、多くの企業が賃貸オフィスを探す有力な候補地として、この新宿3丁目駅周辺エリアに注目する。
とくに、2013年3月に開始した副都心線と東横線の相互直通運転の効果は非常に大きく、新宿3丁目駅は以前より乗降者数が63%伸びたというデータもある。新宿は古くから至便な公共交通のおかげで、多くの企業が集まる地域だったが、埼玉・横浜方面からの交通の利便性が向上したこの新宿3丁目駅によって、オフィスの需要が高まりを見せているエリアだ。