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NO.301
東京都新宿区西新宿の特徴
東京都新宿区「西新宿」の特徴とマンション

旧くは「角筈」「淀橋」と呼ばれた街、東京都新宿区「西新宿1~6丁目」

 新宿駅の西口から中野区との区境あたりまでのエリアが西新宿だ。新宿駅は云わずと知れた日本屈指の巨大鉄道ターミナルで西口繁華街の東と北に向かって高層ビル群のビジネス街・新宿新都心が拡がる。2丁目には東京都庁のツインタワーがそびえる。

 このエリアが西新宿と呼ばれるようになったのは、1970年(昭和45年)の住居表示実施以降であり、甲州街道と青梅街道に囲まれた1丁目から6丁目は、おおむね「角筈」と呼ばれ、5丁目と6丁目の一部は「淀橋」と呼ばれていた地域だ。なお、青梅街道の北側、現在の西新宿6・7丁目は「柏木」と呼ばれていた。
 江戸期、現在の新宿2丁目あたりにあった宿、内藤新宿からやや離れたこの地域は、十二社(じゅうにそう)池、熊野神社の周りに茶屋が数軒あった程度で、農村だったという。

1885年新宿駅開業、1923年関東大震災を経て、大きく変わる

 エリアが大きく変化するのは1885年(明治17年)に新宿駅が開業してからだ。1889年には品川線(現在の山手線)、甲州鉄道(現在の中央本線)が乗り入れるターミナルとなる。
 そして1898年(明治31年)に東京の水道発祥の地となる淀橋浄水場が完成する。1923年(大正12年)に発生した関東大震災が街の様相を一変させた。都心で被災し住居を失った人々が、広い郊外の山の手に移住する。西新宿エリアも例外ではなかった。

 しかし、駅西口には商業集積はなく、東京地方専売局淀橋工場と淀橋浄水場があるだけであり、住宅街と学校があるに過ぎなかった。このため、今後の新宿の繁栄のために広大な面積を占める浄水場の移転の声が大正末期頃から上がり始めた。行政当局によって浄水場の移転を含む西口一帯の都市改造計画が提出されたのは1932年(昭和7年)のことだった。これが新宿西口・副都心での最初の法定都市計画だったが、その完成は戦後に持ち越された。

最初の副都心計画から30年、1965年に浄水場移転

 先の大戦後、東京の街が西へと広がり復興の一環として、鉄道網の結節点となった新宿の利便性が高まり、西口にも商業施設を集中させる新宿副都心計画が策定された。具体的には、淀橋浄水場を移転させ、空いた土地に高層オフィスビル群を建設、一大商業エリアにするというものであった。まず、1965年(昭和40年)に浄水場が東村山に移転。小田急・京王両百貨店がオープン。西口地下広場などが建設される。
 また、1971年(昭和46年)に日本初の高層ホテルである京王プラザが建つ。この京王プラザホテルを皮切りに200m超の高層ビルが次々に建設され街のシンボルとなった。
 1991年、鈴木俊一・都知事の念願かなって丹下健三設計の新都庁舎が西新宿高層ビル群の仲間入りを果たす。

 なお、旧・角筈1丁目から3丁目、現在の西新宿1丁目は、ほぼ商業地区であり、旧・角筈3丁目の一部、十二社、淀橋だった現・西新宿2丁目エリアは高層オフィスビル群の街で、2019年12月現在、住民は62名だけ。1万7210人の住民は西新宿3~6丁目に居住する。

東京の企業経営者の自宅は、どの街

 2020年1月、ダイヤモンド社が東京商工リサーチと協力して、企業の社長たちが好んで住む街は一体どこなのか。約380万社の企業データベースから作成した都道府県別のランキングを大公開した。それによると、東京で多くの企業経営者たる社長たちが自宅を構え、富裕層が集まる街の代表格だったエリアが様変わりしており、かつて大田区田園調布と世田谷区成城に朝、黒塗りの高級セダンが集まってくる風景は過去のものだという。

 2011年3月の東日本大震災を受けて、リスク管理上、会社と自宅をすぐに行き来できるようにとの意識が高まり、今や社長の自宅は「職住近接」が基本。東京・丸の内や大手町の本社に近い都心5区(千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区)への集中が進んでいる。

 そこで判明した東京都内トップは港区赤坂。云わずと知れた都内の超高級住宅地だ。次いで第2位となったのが新宿区西新宿だった。ここ数年で分譲された新築タワーマンションの一室が、社長たちの平日の休息場所となっているようなのだ。
 ちなみに、第3位は港区六本木、4位が渋谷区代々木、5位が港区青山で、そのあたりまでが拮抗している。

西新宿3丁目再開発計画

 その西新宿で大規模な住宅を含めた再開発計画が進んでいる。西新宿3丁目の東京都庁や新宿パークタワー、東京オペラシティ、NTT東日本本社などに囲まれた甲州街道に面したエリアだ。西新宿3丁目西地区市街地再開発事業は、延べ床面積約39万平方メートル、高さ約235m、地上65階、総戸数3200戸の超高層ツインタワーマンションで、新宿最大級の巨大プロジェクトとなりそうだ。
 2007年に一度、事業推進協力者が選定されたが、リーマンショックなどの影響で景気が低迷して計画は白紙となった。2013年に事業推進協力者として新たに野村不動産、東京建物、住友商事、首都圏不燃建築公社を選定し現在、前田建設工業を加え、計画を再策定しているという。
 昨年3月に、新宿区より都市計画決定の告示された計画によると、正式名称「西新宿三丁目西地区第一種市街地再開発事業」とし、A-1街区には、高さ235mの北棟、南棟を設け、北棟の延べ床面積は約18万1600平方メートル、南棟は20万3100平方メートル。住宅のほか、店舗、事務所、生活支援施設、駐車場、保育所などが入居する予定で、235mという高さと、65階という階数は、日本の分譲マンションで最高となる。また、A-2街区、A-3街区には高さ35mの住宅、店舗、生活支援施設、駐車場などを配置して、住宅の合計予定戸数は約3200戸だ。これは、東京五輪選手村跡の「HARUMI FLAG」(5632戸)に次ぐ規模だという。2022年に着工、2029年の竣工を目指す。

  • 著者:吉田 恒道
  • (公開日:2020.05.18)
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