ニッポンの自治体

NO.244
京都府亀岡市の特徴
京都府「亀岡市」の特徴とマンション

かつての亀山城下の城下町は今、京都近郊の農業都市、そして衛星都市

 京都府亀岡市は、京都市の西となりに位置する。隣接する京都市とJR山陰本線・国道9号・京都縦貫自動車道などで結ばれ、大阪府とも隣接している。京都市へは電車でも車でも約20分、大阪市へは約1時間と、京阪神都市圏とのすぐれたアクセスと、豊かな緑に恵まれ、快適な生活環境が特徴だ。現在では、大阪市と京都市の衛星都市という側面もある街だ。

京都府・亀岡市のマンション

 2018年、京都府・亀岡市で販売された中古マンション相場価格は1260万円~2450万円だった。

 2019年1月現在、京都府亀岡市の人口は、同市の発表によると8万9093人。総世帯数は3万8875世帯である。豊かな環境の亀岡市は着実な人口増加を続け、現在、京都府内で宇治市に次ぐ人口を有し、京都府内3位の人口である。

 亀岡市は旧名称を亀山という。同市は旧丹波国の南端に位置し、丹波国の中心都市だった。戦国時代末期に明智光秀が丹波亀山城および城下町を築いたことが近代・亀山の基礎となった。

奈良時代以前から豊かな自然に囲まれた豊穣の地

 亀岡市は、京に都が置かれる以前の奈良時代から豊穣の地として注目されると共に、丹波国分寺・国分尼寺が置かれた。また、足利尊氏や前述した明智光秀は丹波・亀岡の地から動き、日本の歴史を変えた。亀岡市は、古都・京都よりも歴史が古く、また歴史の変革期に重要な役割を果たした人物を輩出してきた。
 徳川の時代になっても丹波亀山城は京都北西の入口として、重要な拠点となった。

 1869年(明治2年)三重県亀山市との混同を避けるため亀岡と改称。1871年(明治4年)、廃藩置県で京都府所属。1899年(明治32年)、京都鉄道が園部まで開通、亀岡駅が開業した。移行、編入・併合を繰り返し、1959年(昭和34年)に、ほぼ現在の市域となった。
 1955年(昭和30年)、亀岡町を含む1町15カ村が合併して亀岡市が誕生した。

きれいな水と豊かな土壌にめぐまれた京都の近郊農業都市

 亀岡市は京都府内最大の農地を有する。京都および大阪に近い利便性に優れた場所に位置し、総面積の約12.3%にあたる2770ヘクタールの耕地を有する。京都府内有数の規模を誇り、生産高(平成22年)で水稲が47.4%、野菜が48.4%を占めている。特に野菜においては、京野菜の産地となっており広大な農地を有することから、京都市をはじめとする近郊都市において、高い農業生産力を誇っている。ただし、兼業農家が過半数の73%である。

 2016年、米品種キヌヒカリで、亀岡を含む丹波地区の米が“特A”を獲得した。各集落には営農組織が組織され、地域の特性を生かした産地づくり対策が進められている。

 農産品で米以外の特産物は、馬路大納言小豆、丹波椎茸、丹波黒豆、丹波栗、ミズナ、千枚漬けに使う篠大根(かぶら)などが知られる。また、日本で唯一とされるハバネロの商業水準の生産も行なわれている。
 なかでも、馬路大納言小豆は、馬路町で生産された丹波大納言で、隣接する河原林、千歳などの各町で種を蒔いても普通の丹波大納言小豆になる。馬路大納言は高級品の丹波大納言小豆のなかでも最高級品であり、亀岡の深い霧と馬路町の石灰質の土壌がその品質の基本。馬路大納言小豆は大粒で色艶がよく、独特の風味と香り、亀岡の馬路でしか生産できないという特徴から「日本で一番の小豆」とも言われる。

 豊かな自然が育んだきれいな地下水を水源とする亀岡市の水道水は、厚生省の「おいしい水研究会」で「おいしい水道水」に選ばれている。人口5万人以上の都市で、京都府では亀岡市だけだ。亀岡市は美しい自然とおいしい水のある街だ。

 交通インフラについては、2010年(平成22年)3月に、JR嵯峨野線の複線化事業が完了、2015年(平成27年)7月に、京都縦貫道全線が開通し、名神高速道路や舞鶴若狭自動車道路と接続し、京阪神・中京エリアと直結するなど交通の利便性は飛躍的に向上している。

 また、JR亀岡駅北側エリアでは、球技専用施設「京都スタジアム」(仮称)の建設工事が進められ、収容人数約2万1600人で、サッカーやラグビーの国際試合も可能な大きさの天然芝グラウンドを整備する。2019年12月末までに本体工事を完了させ、翌年春の施設オープンを目指す。サッカーJリーグ京都サンガのホームスタジアムとなる。


  • 著者:吉田 恒道
  • (公開日:2020.01.06)

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