兵庫県神戸市灘区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
北に六甲山を控えた市内随一の文教地区と臨海部の工業地帯が融合する街
兵庫県神戸市灘区は神戸市の東部に位置し、北に六甲山・摩耶山を控え、南は大阪湾に面し、東は石屋川を境に東灘区に接し、西は王子動物園および岩屋周辺で中央区に、北は北区に接する、面積32.66平方キロメートルの行政区だ。
兵庫県・神戸市灘区のマンション
2018年に兵庫県・神戸市灘区で販売された新築マンションは65戸。同市で販売した新築マンションの相場価格は4336万円~7204万円だった。中古マンション相場価格は2100万円~5460万円である。
神戸市灘区の人口は、2019年1月現在、13万3309人で、総世帯数は6万7668世帯だった。
明治期、英国人に開発された観光地「六甲」を擁する住宅都市
灘区の地形的な概要を記すと、急峻な六甲山地につながる広い複合扇状地であり、西から西郷川、都賀川、石屋川の3河川が南北に流れ、それらの川を横切って、東西に阪急、JR、阪神の各鉄道が走る。
なお、六甲山の標高は931.3m、神戸市でもっとも高い山で、国立公園でもある。明治以降に英国人グルーム氏が開発した観光地として知られ、身近に自然を楽しめる山として市民に親しまれている。
1889年(明治22年)4月の町村制の実施に伴って、灘区にあった小さな村は、六甲村(現灘区東部)・都賀野村(現灘区西部)・都賀浜村(現灘区西部)の3つの村にまとめられた。その後、都賀野村は西灘村に、都賀浜村は西郷町にと名称が変更となり、武庫郡(東は西宮から西は須磨まで)に属していた。しかし、1929年(昭和4年)4月、これら1町2村が神戸市に編入され、1931年(昭和6年)9月の区制施行で、「灘区」が誕生した。
区の名称が「灘区」とされた由来は、神戸市が区制を施行した1931年当時の神戸市域の中で唯一、「灘の生一本」に代表される日本酒の名産地である灘五郷によるもの。その後、1950年に神戸市に編入された地域が「東灘区」とされたのは、「灘区の東にある」ため。阪神間における灘、すなわち「灘五郷」が西宮市から神戸市灘区までを指し灘区はその西端に位置するにもかかわらず、また東灘区は、灘五郷の東というよりもむしろ中央部にあるにもかかわらず、区の名前が「灘区」「東灘区」となったのはこのような理由からだ。
同区域の市街地北部は、古くからの住宅や新しい団地、それに神戸大学・神戸高校などの大学や高校がある山麓地域、緑が豊富な関西で屈指の高級住宅街・山手地域で構成された文教地区だ。中央部東のJR六甲道駅周辺は、東部副都心として整備されており、西の水道筋商店街は庶民的な商店街と、住宅地が拡がる地域だ。
阪神工業地帯の一角を担う臨海部、そして歴史遺産
浜手地域は住工複合の下町であり、新在家・大石の付近は西郷(にしごう)とも呼ばれ、古くから酒造地帯として有名な「灘五郷」のひとつである。
海岸沿いは、埋立地の工業と港湾流通業務を中心とした臨海地域となっており、神戸製鋼などが立地し、阪神工業地帯の一角を担っている。灘区の各地域はそれぞれ異なった個性と特徴をもったエリアだ。
灘区にはいくつもの名跡があり、そのひとつひとつにはそれぞれの歴史を秘めている。樹齢1000年とも言われる「春日神社の楠」や弘法大師が摩耶夫人像を取り寄せ安置したといわれる「天上寺」、奈良春日神社旧社殿を移したといわれる「六甲八幡神社」、「灘の酒蔵」などから、灘区が刻んできた歴史を知ることができる。また、冒頭で述べた国立公園「六甲山」をはじめ、王子動物園や県立近代美術館、神戸文学館や旧ハンター住宅など、文化・観光施設も数多い。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)