兵庫県神戸市垂水区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
海と山が迫った独特な地形、多くの文化人が住む住宅都市
兵庫県神戸市垂水区は神戸市を構成する9区のひとつで、神戸市の市街地の西端に位置しており、東側には須磨区、北側は西区、西側は明石市に接している。区内の地勢は、塩屋谷川、福田川、山田川などの谷筋とその間に広がる丘陵地で構成され、ほぼ全域が住宅地だ。区域総面積は28.11平方キロメートルである。
垂水は畿内と山陽地域を結ぶ要衝の地として古くから開け、五色塚古墳や大歳山遺跡などの史跡が各地に点在している。
兵庫県・神戸市垂水区のマンション
2018年に兵庫県・神戸市垂水区で販売された新築マンションは142戸。中古マンション相場価格は1190万円~3780万円である。
神戸市垂水区の人口は、2019年1月現在、22万2373人で、総世帯数は10万4525世帯だった。
戦後、急速に発展した神戸市人口の15%を抱える行政区
戦後、急速に都市化が進み、1955年(昭和30年)に5万人だった人口が、1965年(昭和40年)に10万人、1975年代に20万人を超えた。1995年の阪神淡路大震災において垂水区は、神戸市の中でも比較的被害が少なかったため、その後も人口は増え続けており、神戸市全人口の約15%を占めている。
区内には高丸団地や明舞団地、多聞団地などの団地群が形成されている。
また、神戸独特の海と山が迫った地形と神戸三宮や大阪都心にも比較的近い立地から、多くの文化人が住む。また塩屋町6丁目には「神戸ジェームス山外国人特別居住区」がある。
JR神戸線と山陽電車が同区内を東西に走っており、明石駅まで約5分、三宮駅まで15分、大阪駅・姫路駅までそれぞれ35分で結んでいる。
明治中期に山陽鉄道開通で発展の基礎が──戦後すぐに須磨区から分区
同区域は1618年(元和4年)、明石藩に属し、1871年(明治4年)の「廃藩置県」直後に明石県となり、何度かの区域変更を経て、1876年(明治9年)兵庫県に編入されて現在に至っている。
1888年(明治21年)、山陽鉄道(現JR西日本)の兵庫~明石間が開通。垂水駅が開業。翌1889年の全国市制・町村制施行、明石郡垂水村が誕生した。1896年(明治29年)に山陽鉄道の塩屋・舞子駅が開業し、1917年(大正6年)に兵庫電気軌道(現山陽電鉄)塩屋~明石間開通し、同区域発展の基礎が築かれた。1928年(昭和3年)、垂水村が町制を施行し、明石郡垂水町となった。1941年、明石郡垂水町は神戸市と合併し須磨区に編入された。戦後の1946年(昭和21年)に須磨区から分区し垂水区が新設される。
区内には五色塚古墳や大歳山遺跡などの史跡も多く、価値の高い歴史的遺産が多く残っている地域でもある。沿岸部には海釣り公園やスポーツ公園など、区民に親しまれているレジャースポットが整備されている。その沿岸部からは1998年に開通した明石海峡大橋が架かり、ビューポイントとして人気が高い。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)