兵庫県西宮市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
関西屈指の高級住宅街を擁する住宅都市、学園都市、日本酒の街
西宮市は兵庫県の南東部、大阪と神戸の中間に位置する文教住宅都市だ。北の背景に六甲山系、南は大阪湾に面した自然に恵まれ自治体だ。数多くの文化施設や教育機関を擁する。歴史遺産も多く、史跡が市内に点在し、1000年以上前の記録に、すでに西宮の名が残されている。高校野球のメッカ「阪神甲子園球場」の街としても有名である。
1925年(大正14年)、市制施行し「西宮市」となる。前述の阪神電車甲子園大運動場(阪神甲子園球場)が鳴尾村に完成したのも、この年である。1933年(昭和8年)の神戸女学院が後に西宮市に編入となる甲東村に移転し、1929年(昭和9年)に関西学院が神戸から移転開学。神戸女学院は戦後、大学を開学し、1949年(昭和24年)に武庫川学院女子大学開学するなど学園都市の基礎となる。
兵庫県・西宮市のマンション
2018年、兵庫県・西宮市で販売された新築マンションは961戸。同市で販売した新築マンションの価格相場は、3481万円~6914万円で、中古マンション相場価格は910万円~6860万円だった。
西宮市の総面積は面積約100.18平方キロメートル。2019年1月現在、西宮市の人口は、48万5189人で、総世帯数は22万1416世帯。兵庫県、第3位の人口となる自治体だ。
西宮七園と称される地域は、関西屈指の高級住宅地
西宮は大阪の帝塚山と並ぶ高級住宅街で、なかでも西宮七園と称される地域や阪急電鉄沿線には、関西の財界人や文化人が数多く住まう屈指のエリアだ。西宮七園は、大正から昭和初期にかけて開発された住宅地で、甲子園、昭和園など“園”の付く7つの高級住宅地の総称だ。苦楽園、甲陽園、甲子園エリアの一部は、最低敷地面積が規定された市指定建築協定があり、豪邸が軒を連ねる地域だ。
西宮市の工業は酒造業を中心に食品加工業が8割を占め、食品加工業の出荷額は全国でもトップクラスだ。また、市南部には阪神高速道路が走り、北部の中国自動車道が東西に通っているため物流拠点としての条件もよく、運輸・通信業も盛んだ。
歴史的に西宮市を概観すると、鎌倉期から浄土宗や浄土真宗の寺院が数多く建立され、室町期にかけて禅宗の寺の建立などで西宮神社の門前町として発展した。
江戸時代、西宮と生瀬は宿場町として栄え、室町時代から始まった西宮の酒造りが発達。江戸で珍重された西宮の酒は、西宮や今津の港から樽廻船で江戸まで運ばれた。江戸末期には「宮水」が発見され酒造りはさらに発展する。
現在でも、兵庫県南部一帯は灘(なだ)と呼ばれ酒造りの盛んな地域だ。酒造業者の集まった地域は郷(ごう)と呼ばれ、灘には5つの有名な郷があったことから「灘五郷」といわれる。1800年代に前述「宮水」が発見、「宮水」とは、六甲山系の伏流水で、清冽で豊富な涌水は西宮神社南側で湧出している。
関西屈指の住宅学園都市、中核市。銘酒産地「灘五郷」の一角をなす
明治時代に入ると西宮には鉄道が開通し、1874年(明治7年)に大阪~神戸間官営鉄道(現在のJR神戸線)が開通し西ノ宮駅が開設した。明治末には阪神電車が、大正時代末には阪急電車も開通し、甲子園球場などの娯楽施設や住宅地などの建設が進み、阪神間の住宅地として発展する。
灘五郷(なだごごう)は、「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地で、神戸市の灘区・東灘区と西宮市を合わせた阪神間の地域を指す。酒造りに適した上質の酒米・山田錦と宮水と呼ばれる六甲山系の伏流水に恵まれた地域だ。日本酒の寒造りに適した低温をもたらす「六甲おろし(六甲颪)」が吹き、そして製品の水上輸送に便利な港があったことから、日本酒の名産地として発展した。ナショナルブランドの「日本盛」「白鷹」「白鹿」などがある。
冒頭で述べたように1925年(大正14年)4月1日、市制が施行され西宮市が誕生。当時は総面積約5平方キロメートル、人口約3万4000人という規模だった。先の戦災からの復興、阪神淡路大震災を乗り越え、現在、人口約48万人の住宅学園都市へと発展した。2008年4月に中核市に移行した。
同市の都市核である阪急西宮北口駅周辺は、2001年に大型店、専門店、公共施設が一体となった震災復興再開発ビル「アクタ西宮」がオープン。2005年に震災復興、文化復興のシンボルとして「兵庫県立文化センター」が開設、2008年には西日本最大で阪急百貨店がキーテナントとなる大型商業施設「阪急西宮ガーデンズ」がオープンし、活気と賑わいが増している。西の都市核である阪神西宮地区には、2003年に再開発ビル「エビスタ西宮」、商業施設「エイヴィスプラザ」が完成。これら大型商業施設の集積で、来街者の増加が期待されている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)