千葉県千葉市中央区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
間もなく市制施行100年を迎える千葉県伝統の政治・経済・文化の中心地
千葉市中央区は、千葉市行政区6区のひとつで、同市南西部よりに位置し、1921年(大正10年)1月1日の市制施行以来、千葉県の政治・経済・文化の中心地として発展してきた。東京オリンピックの翌年“市制施行100年”を迎える。
千葉県・千葉市中央区のマンション
2018年、千葉県・千葉市中央区で販売された新築マンションは168戸。同区で販売した新築マンションの価格相場は、3162万円~4332万円で、中古マンション相場価格は1400万円~4060万円だった。2019年1月現在、中央区の人口は、20万7885人。総世帯数は10万5938世帯。同区の面積は44.69平方キロメートルである。
千葉県都として中央区には「国・県・市」の公的機関が集中する
千葉都心地区は、県庁、市役所をはじめ「国・県・市」の公的機関が集中するエリアだ。JR千葉駅・駅ビルペリエを中心に銀行やオフィスビル、百貨店や大規模ショッピングセンターなどが集まった業務・商業・サービス機能などの都市機能が集積している。
しかしながら、近年、大規模商業施設が相次いで閉鎖されており、郊外型大規模商業施設との熾烈な競争のなかで、やや疲弊・地盤沈下傾向にあるといえる。
中央区は、千葉市内で最も公共交通が充実しており、JR総武本線・京葉線・内房線・外房線、京成電鉄千葉線・千原線、千葉都市モノレールが走っている。
同区内にある海上山千葉寺は、奈良時代からの歴史を誇る名刹で、坂東三十三ケ所観音霊場の29番目の札所。「千葉」という地名の発祥の地となった寺でもある。平安~戦国時代は千葉氏が下総の地で繁栄を築きあげた土地だ。その本拠が千葉城であり、本丸が台地の亥の方向に突き出ているため別名「亥鼻城」とも呼ばれる。戦国時代から江戸時代にかけては北条氏が治めていたが、その遺構は残っていない。
戦前は、現在の川崎町の埋立地を中心として軍事産業施設が点在していたが、1945年(昭和20年)の千葉大空襲で大きな被害を受けた。
同区郊外の東部地区には、青葉の森公園や都市緑化植物園等の個性的な公園施設や緑地が多くみられ、女性行政ならびに福祉行政の拠点となる「千葉市ハーモニープラザ」や、医療技術の高度化・多様化などに対応するため「市立青葉病院」が開設。このエリアでは、緑地の保全を図りながら、市街地の開発が行なわれているという。
千葉市の文化拠点「中央区」臨海部
一方、臨海部には県立美術館や千葉港のシンボルでもある高さ125mのポートタワー、人口海浜を備えたポートパークがあり、休日には多くの人々で賑わっている。千葉ポートタワーでは、ゴールデンウィーク、夏休み、バレンタインデーなど季節のイベントを開催し、クリスマスの時期にはイルミネーションが点灯。また、元旦には早朝に臨時開館し、高さ113mの展望台から初日の出を観ることができる。このほか、天気の良い日には海越しの富士山も見られる。
2016年(平成28年)4月、千葉中央港地区に新たに旅客船桟橋とターミナルなどの複合施設「ケーズハーバー」がオープンした。ケーズハーバーは桟橋から運航される旅客船の待合スペースに加え、レストランやオープンカフェ、ダイビングショップなどの集客施設が一体となっている。旅客船桟橋には3隻の客船が係留できる。
また、東京湾岸に沿って大規模製鉄所などが立地し京葉工業地帯を形成する。
亥鼻地区には、千葉大学医学部・薬学部・看護学部、県立千葉高校、千葉市文化会館、県立図書館など“千葉県の知”が集積する。川崎町では、JR京葉線、同外房線・内房線の鉄道交通の結節点であるJR蘇我駅の立地と、港湾といった地区の特性を活かし、蘇我新都心の整備が進められている。
このように千葉市中央区は、県都の中心都市として、千葉都心の都市機能の充実・強化を図りながら、居住環境・教育文化の整備充実に取り組んでいる。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)