東京都福生市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
米軍基地が市域の3割を占めるも、都市基盤が整備された住宅都市「ふっさ」
東京都福生市は都心から西へ約40km、武蔵野台地の西端に位置する。JR青梅線福生駅を中心に市域全体に市街地が広がり、東は立川市・昭島市・武蔵村山市、西は多摩川を隔ててあきる野市、南は八王子市、北は羽村市・瑞穂町に接している。武蔵村山市とは横田基地の敷地内で隣接しているため、横田基地の関係者以外は直接行き来できない。
東京都・福生市のマンション
2018年、東京都・福生市で販売された中古マンションの相場価格は1820万円~2800万円だった。
福生市の2019年1月現在の人口は、5万8243人で、そのうち3816人が外国人だ。総世帯数は3万506世帯である。
米軍基地「横田基地」が自治体面積の32%を占め、人口密度は高い
福生市の東北部には米軍の横田基地があり、行政面積の32%を占める。東西約3.6km、南北約4.5km、総面積は10.16平方キロメートルの自治体である。ただし、横田基地を除く実質行政面積は6.92平方キロメートルで、都内では狛江市に次いで小さく、全国でも3番目に小さな市である。当然だが人口密度はきわめて高い。
鉄道はJR青梅線、五日市線、八高線の3路線が通っており、5つの駅(福生駅・東福生駅・牛浜駅・拝島駅・熊川駅)があり、交通利便性は高い街だ。
福生市域は明治の廃藩置県後、韮山県や神奈川県に属し、1889年(明治22年)の全国市町村制の施行によって福生村、熊川村が組合役場を設け、共同で事務処理を行なう。その後、1893年(明治26年)に東京府に編入。
翌、1894年(明治27年)には、青梅鉄道の福生駅が開設し、1925年(大正14年)に福生から五日市間にバスが運行、五日市鉄道も開通。1931年(昭和6年)、八高線も開通し、福生は西多摩地域の玄関口として発展する。明治、大正、昭和初期の福生市域は、酒造と製糸を地場産業とし、養蚕を中心とした農村地帯だった。
首都圏整備法による都市計画を進め、基地の街から脱皮する
1939年(昭和14年)から翌年に、市の東北部に旧日本陸軍飛行場(多摩飛行場)がつくられ、航空審査部と陸軍整備学校ができたことで、人口が増加。1940年(昭和15年)に福生村、熊川村が合併して福生町となった。
戦後は米軍横田基地を中心に急速な発展を遂げ、商店街が急成長した。が、1963年ころから基地の街からの脱皮が真剣に検討され、首都圏整備法による市街地開発区域の指定を受けて都市計画を進め、1970年(昭和45年)7月1日に人口3万8749人の福生市が誕生した。
都市基盤整備に積極的に取り組んできたことから、下水道整備率は100%達成しているなど、都市基盤はほぼ充足している。
1960年代半ばから東京のベッドタウンとして発展し、基地の街から住宅都市に。
江戸時代に増築された土木遺産である「玉川上水」が市域を南北に貫き、上水から2本の分水が引かれ、ゆたかな清流が街を流れる。上水や分水沿いには、古くからの屋敷や樹林が点在し、武蔵野の面影を今に伝えている。この玉川上水は、国の史跡に指定されている。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)