千葉県茂原市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
外房の中核都市は天然ガスの街、地域の政治・経済の中心的役割を果たす
千葉県茂原市は、首都圏郊外部50~70km圏域、千葉市から30kmに位置し、千葉県のほぼ中央部にある。東西11.7km、南北13.1kmであり総面積は99.92平方キロメートルだ。詳細は後述するが、天然ガスをはじめとした地下資源に恵まれ、多くの企業が進出し成長を遂げ、外房の中核都市として地域の政治・経済の中心的役割を果たしている都市だ。
千葉県・茂原市のマンション
2018年、千葉県・茂原市で販売された中古マンション相場価格は1470万円~1960万円だった。
2019年1月現在、千葉県茂原市の人口は、同市の発表によると8万9751人。そのうち外国人は1283人だった。総世帯数は4万428世帯である。
同市の人口は、2002年(平成14年)をピークに減少に転じており、2040年(平成52年)には2010年(平成22年)に比べて約2割減となる約7万2000人まで減少すると見込まれている。このうち、65歳以上が全体の4割を占めると同市は予想している。
労働人口が減少し、高齢人口が増加すると、税収が減り、現役世代が支える社会保障制度の維持、地域の担い手の減少に伴うコミュニティの維持困難、子どもの数が少なくなることによる人間関係形成、社会性の発達などの教育的問題などが課題となっている。
一方で、2013年4月に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が開通し、成田・羽田両国際空港からともに1時間圏内となった同市に、多くの企業進出が期待されている。こうした背景を活かし、市行政施策の可能性について調査研究するとともに、市では庁内横断的なプロジェクトチームを設置している。
豊かな農村として発展した江戸期
茂原市域が本格的な農村として確立したのは、江戸時代、数多くの旗本の知行地として統治される。受け継がれている「六斎市」は、このころ初代大久保治右衛門によって開かれたものだ。8代将軍・吉宗が登場した享保年間から、千町野、大芝村、永吉、早野地区で新田開発が盛んに実施されて以降、茂原市域が本格的な農村として確立した。
1871年(明治4年)の廃藩置県で、房総地方は茂原の属する木更津県、新治県、印旛県となり、2年後に木更津県と印旛県が合併して千葉県が誕生した。
1889年(明治22年)の全国で市町村制施行の際、長柄郡下だった茂原、高師、上林、上茂原、鷲巣、箕輪、長谷、内長谷、大芝、早野新田、永吉新田と小林村の飛び地を合併して1町とし、新しい「茂原町」が誕生した。
1897年(明治30年)に房総鉄道が大網~一宮間で開通、同時に茂原駅と本納駅が開業した。さらに1930年(昭和5年)南総鉄道株式会社により、茂原~笠森寺間が開通した。
天然ガスが茂原の近代産業地域として発展の原動力となった
茂原を近代産業地域として発展の原動力となったのは天然ガスだ。明治末期から昭和初期にかけて「利用組合」という組織による天然ガス事業が営まれ、1935年(昭和10年)に大多喜天然瓦斯会社(現在の関東天然瓦斯株式会社)が茂原鉱業所を設けて都市ガス供給を始め、同年、理研真空工業が設立。1937年には、いち早くヨウ素事業に乗り出し事業を拡大する。同社が1943年(昭和18年)に日立製作所に合併されたのがきっかけで、工業都市化への拍車がかかる。同社は、国産天然ガス事業のパイオニアとして、天然ガスの効率的な生産技術の研究を行ないながら、環境に配慮した開発を推進している。また、ヨウ素の新規用途の開拓を図る等、貴重な国産資源の生産者でもある。
先の戦争から復興し始めた1952年(昭和27年)4月、茂原町・鶴枝村・東郷村・豊田村・五郷村・二宮村の6町村が合併して「茂原市」が誕生。さらに1972年(昭和47年)5月、本納町と合併して、現在の茂原市の姿となった。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)