千葉県成田市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
日本のもうひとつの空の玄関、成田国際航空を有する国際都市
千葉県成田市は、千葉県の北部中央に位置する中核都市。北に流れる坂東太郎・利根川をへだてて茨城県と接し、西は県立自然公園に指定されている印旛沼、東は香取市と接する。同市の西側には根木名川、東側には大須賀川が流れ、それらを取り囲むように広大な水田地帯や肥沃な北総台地の畑地帯が広がるエリアだ。北部から東部にかけての丘陵地には工業団地やゴルフ場が点在し、南には日本の空の玄関、成田国際空港がある。
国家戦略特区に指定されているほか、業務核都市、国際会議観光都市にも指定されている。
また、市の中心部である成田地区は1000年以上の歴史がある成田山新勝寺の門前町として栄え、毎年多くの参拝客でにぎわう。市内に新勝寺以外にも数多くの寺社が点在、豊かな水と緑に囲まれた伝統的な街に国際的都市が融和した独特な地域だ。面積は約214平方キロメートルである。
千葉県・成田市のマンション
2016年、千葉県・成田市で販売された中古マンション相場価格は1960万円~2940万円だった。
2019年1月現在、千葉県成田市の人口は、同市の発表によると13万3456人。総世帯数は6万2499世帯である。
成田市域で人々が生活しはじめたのは約3万年前だ。三里塚遺跡から発見された先土器時代の楕円形石器は、今から約3万年以前に使われたもので、房総最古の石器であり、成田の黎明期を飾る貴重な遺物から推察されている。続く縄文・弥生時代にも、きびしい自然を克服した原始・古代の成田人の足跡が貝塚や遺跡に残されている。
また、市域を南北に流れ、利根川に注ぐ根木名川周辺台地及び北印旛沼東岸台地には、200基を超す古墳が群在し、古代印波国の中心地でもあったことを物語っている。
律令体制時代の成田は、埴生郡、印旛郡、香取郡に属し、山方・荒海の駅(うまや)が設けられるなど、古代交通の要地ともなった。
寛朝大僧正が創建、成田山新勝寺。法灯絶えない霊地となる
天慶年間、常総の地を揺るがした平将門の乱を鎮めるため、寛朝大僧正が成田山明王院神護新勝寺を創建。成田は法灯絶えない霊地となる。
中世の成田は、下総千葉氏及び系累の支配下に入る。
江戸時代、成田は門前町として発展する。参拝者の増加と共に、飯屋や居酒屋などが次第に専業化。記録によると、1701年(元禄14年)には旅籠が1件もない農村であったが、1843年(天保14年)には旅籠32軒となった。当時の農村とはしては珍しく、煙草、刀剣の研、髪結、提灯、蝋燭、傘、下駄屋などがあり江戸と結ばれた成田街道をはじめ、利根川の木下河岸(印西市)、常陸国を結ぶ滑川河川、香取・佐原・芝山・九十九里などを結ぶ街道などが集中する交通の要衝として栄えた。
1871年(明治4年)、全国で実施された廃藩置県の後も、幾度かの所管の郡の変更があり、現在の市域は印旛郡だった。1954年(昭和29年)3月、町村合併促進法によって成田町、公津村、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の1町6カ村が合併して成田市(人口4万5075人)が誕生した。
成田空港の開港で国際交流都市へと大きく変貌する地域
1966年(昭和41年)7月、新東京国際空港(現在は成田国際空港)の設置が決まり、猛烈な建設反対闘争など紆余曲折を経て、1978年(昭和53年)5月20日に開港。現在、航空機が1日平均512便離着陸し、空港旅客数は年間3000万人を超えている。
空港完成後、空港関連事業として、東関東自動車道の開通、成田ニュータウンの造成、豊住工業団地、大栄工業団地などの工業団地建設などが進められた、市街地には百貨店や大型商業施設などができ、北総地域の商業都市としての顔もある。だが、政府による空港建設の強行は、地域住民・日本国政府・地方公共団体との間の信頼関係が崩壊、その後の用地買収も進まず、成田空港は今日でも完全開港していない。
平成18年3月27日、香取郡下総町、同郡大栄町の2町と合併新生・成田市が誕生した。かつて田園風景がひろがる成田は、信仰の街としての顔と、交通、経済、文化の国際交流の拠点、国際交流都市の街へと大きく変貌した。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)