東京都羽村市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
武蔵野の面影を残す小さな自治体、豊かな自然と清冽な水に恵まれた街
東京都羽村市は、東京都心から西へ約45kmに位置し、多摩川周辺の自然や武蔵野の面影を残す雑木林などの緑につつまれ、住宅地と工業地域がバランス良く配置された都市だ。市の総面積は、9.90平方キロメートルで、全国の市で7番目に小さく、東京都の市のなかでも狛江市、国立市に次いで狭い市域の自治体だ。同市西から南へ多摩川が流れ、江戸時代に開削された玉川上水の取水堰のある街としても知られている。
東京都・羽村市のマンション
2018年、東京都・羽村市で販売された新築マンションは不明。同市内の中古マンション相場価格は1960万円~2730万円だった。
羽村市の2019年1月現在の人口は、5万5607人。総世帯数は2万5718世帯だ。
国勢調査によると、同市の夜間人口(居住者)は5万6000人あまり。市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は5万5900人ほどで、昼夜間人口が均衡している。このあたりの大きな理由は、後述する首都圏整備事業の前段階において大規模工場誘致を図ったところによる。
通勤者・通学者をみると、同市内から市外へ出る通勤者1万7300人ほど、市外から同市内へ入る通勤者は1万8400人あまり。学生は羽村市内から他の地域に通学する学生は2500人ほど、市外から市内へ入る通学生は900人弱である。
1991年11月1日に市制を施行した新しい自治体「はむら」
羽村市は多摩川上流の左岸(一部右岸)広がるエリアで、西と北を青梅市、東を西多摩郡瑞穂町、南を福生市、あきる野市に接している。
1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、羽村(はねむら)・五ノ神村・川崎村が合併して神奈川県西多摩郡西多摩村が発足した。1893年(明治26年)、三多摩地区の東京府移管により東京府西多摩郡西多摩村となる。
1894年(明治27年)、青梅鉄道(現JR青梅線)が開業した。が、近代以降、羽村は養蚕を中心とする農村だった。1956年(昭和31年)、西多摩村は町制施行により東京都西多摩郡羽村町が誕生した。1991年(平成3年)11月1日に市制を施行した新しい自治体である。
高度成長期の工場誘致が奏功して急成長
羽村が大きく変貌しはじめたのは、やはり1960年代の高度成長期だ。なかでも首都圏整備法に基づく1962年(昭和37年)の市街地開発区域の指定は、職住近接の街づくりの出発点となり、現在の羽村を形成する基板となった。さらに1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催決定によって、首都圏整備事業費にオリンピック関連事業予算が計上されたため、事業に急速な進展が見られた。
そのうえで、羽村は、区画整理事業の前段階において工場誘致を図った結果、1961年(昭和36年)日野自動車の羽村進出が決定、大規模工場が完成。このような工場誘致は税収の増加に繋がっただけでなく、雇用促進と他の地域から羽村へ移住する人と通勤者の増加につながった。
「水はむら」は、羽村市の水道水と同じ水源の地下水
その1961年2月に、羽村は独自の上水道給水を開始。以来、半世紀にわたって良質な地下水を利用した安全でおいしい水道水を市民に供給している。
その羽村市の水道水と同じ水源の地下水を使用して生まれたのが、ペットボトル水「水はむら」だ。ふつうの水道水が塩素殺菌しているのに対して、「水はむら」は加熱処理によって殺菌しているため、地下水本来のまろやかなおいしさを味わうことができる。「水はむら」は2007年(平成19年)11月に販売を開始し、2016年(平成28年)で10年目を迎えた。
毎年4月上旬から5月にかけて羽村市内の水田(根がらみ前水田)で、開催するチューリップまつりは、60種類、約40万本の鮮やかなチューリップが一面に咲き誇るイベント。地上3mの展望台から見渡すチューリップ畑は圧巻だ。イベントには観光土産品の販売や模擬店も出店する。
関東でも屈指の規模を誇る「根がらみ前水田」のチューリップ栽培は、個人・企業・農家・行政が協働で栽培することを目的としていて、球根の植え付けから管理・掘り取りまでを支援するチューリップオーナー制度で運営している。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)