神奈川県横浜市南区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
鉄道網、道路網共に利便性が高く、人口密度が非常に高い行政区
横浜市南区は、大岡川沿いの平地部と、その周辺にある丘陵部から形成されるエリアだ。区内には、東京都心や横浜都心へ通じる京浜急行線4駅と、横浜市内を結ぶ市営地下鉄線4駅があり、アクセスの良い地域だ。
また、道路交通網としても利便性が高い地域で、横浜鎌倉線や国道16号線、国道16号バイパス線の別所インターチェンジや中央線の阪東橋ランプ、花之木ランプがある。そのため、区外への通勤者や通学する学生が多い。幹線道路周辺には、ビルやマンションが建ち並び、南太田・吉田町・阪東橋エリアは商店街や伝統文化施設、横浜で最古の寺として知られる弘明寺などがある。
横浜市・南区のマンション
2018年、神奈川県・横浜市南区で販売された新築マンションは941戸。相場価格は、4655万円~4736万円。同区内の中古マンション相場価格は2240万円~5040万円。
2019年1月現在、横浜市南区の人口は、19万9455人。総世帯数は10万7245世帯だった。横浜市内18区で高齢化率がトップクラスで、ひとり暮らしや高齢世帯が増加している。同区の総面積は12.63平方キロメートルで、横浜18区のなかで人口密度はもっとも高い。
南区の中央部を京浜急行が縦断、同じように鎌倉街道も南北にとおる。鎌倉街道の地下に横浜市営地下鉄ブルーラインが走る。鎌倉街道に平行して大岡川と途中で分流する中村川が流れ、さらに磯子区へ流れる堀割川も分流する。大岡川沿岸は「大岡川プロムナード」として整備され、桜の名所でもある。
江戸時代、農村だったエリアは、明治・大正時代に商工業が発展
現在の横浜南区のエリアは江戸時代、ほぼ農村だった。1656年に江戸の商人 吉田勘兵衛が、大岡川河口を新田として埋め立てる許可を江戸幕府から受け、大規模な工事が1667年に完成した。新田は「吉田新田」と名付けられ、その後の横浜発展のために重要な役割を果たした。
横浜港の開港後、文明開化とともに新しい文化・技術・産業などが普及し、明治から大正時代にかけて商工業が発展した。また、横浜で最初の小学校が開設され、そのうちの3校が南区内に誕生した(大岡・石川・太田小学校)。1882年には、横浜の貿易商人たちが後継者育成のために、現在の横浜商業高等学校(Y校)の前身となる横浜商法学校が創立した。吉田新田は横浜の発展に伴い、市街地に変わってゆく。
横浜区制施行後に中区から分区して南区誕生
1927年(昭和2年)、横浜市の区制が施行され、現在の南区は中区の一部となった。1930年(昭和5年)に、湘南電鉄(現在の京浜急行)が開通するとさらに市街化が加速した。
1943年(昭和18年)、旧中区から分区し、南区が誕生した。戦時中の空襲によって区域の40%が被災し、横浜市内でもっとも大きな被害を受けた。戦後は一部が進駐軍に接収されたが、その後の復興はめざましく、1960年代に宅地開発が進み、人口が急増。1969年(昭和44年)、区域南部が港南区として分区、現在の南区となった。2013年(平成25年)12月1日、区制70周年を迎えた。
2016年(平成28年)2月に区役所が浦舟町に移転となった。
「七つの丘」と呼ばれる変化ある地形や、区の中心部を流れる大岡川と桜並木、永田に現存する大正期の登り窯など豊富な地域資源に恵まれている。一方で、丘陵地が多く、区内は起伏が大きいため、交通利便性の向上が必要とされるエリアも多い。現在の南区は、今も下町情緒が生き続ける人情味の豊かな活気あふれる街となっている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)