神奈川県横浜市金沢区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
美しい海浜と緑豊かな自然に恵まれた歴史的文化遺産に囲まれた街
横浜市・金沢区は横浜市の最南端に位置し、横浜市内唯一の自然海岸がある行政区だ。また、海岸線を埋め立てた金沢工場地帯と市内で唯一の海水浴場「海の公園」をはじめ、横浜・八景島シーパラダイスや横浜ベイサイドマリーナなどマリンスポーツを楽しむことができる複合施設がある。
海と山のふたつの自然を持ち、鎌倉時代からの歴史を持つ名所・旧跡など歴史的な文化遺産に恵まれた自治体だ。
神奈川県・横浜市金沢区のマンション
2018年、神奈川県・横浜市金沢区で販売された新築マンションは35戸、相場価格は4615万円~6477万円だった。同区内の中古マンション相場価格は2030万円~4480万円だ。
2019年1月現在、横浜市金沢区の人口は、19万9283人。総世帯数は9万2322世帯だ。区の総面積は30.68平方キロメートル。2007年(平成19年)に同区の人口はピークを迎え、その後は減少傾向にある。近年、その傾向が強まり減少率は市内18区中でもっとも高いとされる。高齢化率の高く、2016年現在27.4%だ。
区の大部分は起伏の激しい丘陵地で、概ね標高100m程度の山が入り組んだ地形となっている。
歴史遺産「金沢文庫」は鎌倉時代に北条実時が創設、武家の文庫
区の象徴ともいえる「金沢文庫」は、鎌倉時代中期に北条実時が設けた武家の文庫。金沢流北条氏の私設図書館だ。成立時期は不確かだが、実時が晩年に金沢館で過ごした1275年(建治元年)ごろとされる。実時は鎌倉を中心に金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、収集した和漢の書を保管する書庫を金沢郷に創設したことに始まる。当時の建物は現存せず、発掘調査と当時の記録からその位置を推定している。
北条氏の滅亡後、文庫は衰退し、蔵書の多くが後北条氏、徳川家康らによって持ち出された。明治になって、伊藤博文らの尽力により文庫が復興され、旧蔵書の回収も進められた。称名寺大宝院跡に再建された金沢文庫は関東大震災で失われ、1930年(昭和5年)に図書館令に基づき神奈川県で最初の県立図書館として復興した。現在は鎌倉時代を中心とした所蔵品を保管、展示公開する歴史博物館となっている。
海浜エリアはレジャー施設の充実
1998年(平成1年)に、JR根岸線の新杉田駅と京急・金沢八景駅を結ぶ「金沢シーサイドライン」が開通。この路線は、1973年(昭和48年)の「横浜市総合計画」から計画がスタートし、1983年(昭和58年)に当時の建設・運輸両省の指導による新交通システムの標準化とその基本仕様」に沿った第1号となった路線である。その後、「横浜八景島」「海の公園」「横浜ベイサイドマリーナ」などが整備され、沿線にある団地住民や工場通勤客の足となっているほか観光路線つぃて活用されている新交通だ。
「海の公園」は、3つの異なるエリアのある公園だ。シーサイドライン「八景島」付近の北部分は、小さな岩礁を配した荒磯となっており、中央部は広い砂浜で潮干狩りや海水浴が楽しめ、南部分にはバーベキュー場がある。
また、「八景島シーパラダイス」は、国内最大級のピラミッド型水族館「アクアミュージアム」と14種類のアトラクションがある「プレジャーランド」として有名だ。
中世、鎌倉の外港として栄えた金沢八景
金沢区は1948年(昭和23年)に磯子区から分区して誕生した。同区は鎌倉に近く、歴史的遺産が数多く残る。中世、鎌倉の外港として栄えた金沢は、山と海が織りなす景観が美しく、その景色は「金沢八景」として残る。これは1694年(元禄7年)、明の僧侶である心越禅師が能見堂から眺望した金沢の景色を命名したとされる。その八景を1836年(天保7年)ごろ、浮世絵師として有名な歌川広重が「金沢八景」を一枚ずつ描いており、代表作として残る。
ところが、金沢八景は現在、その当時の面影さえ残っておらず、区制60周年にあたる2008年、同区の新しい顔「横浜ベイサイドマリーナ」や鎌倉と六浦湊を結ぶ伝統的な「古道・朝比奈切通し」など、平成の「新・金沢八景」を区民の投票で決定した。
金沢区は横浜市立大学と関東学院大学のふたつの総合大学がある学園都市でもある。2008年(平成20年)には、両大学と金沢区役所で協定を締結し、キャンパスタウン金沢として、教員や学生による地域活動への支援、区役所独自のインターンシップ受入れなど、大学を活かした街づくりを進めている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)