神奈川県川崎市川崎区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
日本を代表する京浜工業地帯の中核を担う地域、歴史的文化遺産も多い
川崎市川崎区は、市内7つの行政区のひとつ。その区域の半分以上が私企業用地であり、市内で唯一昼間人口が夜間人口を上回っている行政区だ。川崎区は、1972年の政令指定都市移行にともない、JR東海道線以南を区域として誕生。川崎全7区のなかで、唯一海に面している。総面積は40.25平方キロメートル。2012年に区制40周年を迎えた。
神奈川県・川崎市川崎区のマンション
2018年、神奈川県・川崎市川崎区で販売された新築マンションは364戸。同区で昨年販売した新築マンション相場価格は4247万円~4878万円だった。同区内の中古マンション相場価格は2240万円~7560万円。
川崎市川崎区の2019年1月現在の人口は、23万3525人。総世帯数は12万6292世帯だった。区の特徴として外国人登録人口が市内で最も多く、多文化共生の街ともいえる。
川崎市川崎区は川崎市の最も東側に位置し、北は多摩川と東京都大田区、南は神奈川県横浜市鶴見区に隣接。JR川崎駅及び京浜急行川崎駅を起点に東側の東京湾に広がった地形をしている。また、道路動脈としては、第一京浜(国道15号線)、産業道路、首都高速神奈川1号横羽線、同6号川崎線、同湾岸線が走る。
毎時時代より重化学工業地帯として急成長した街
川崎区内の稲毛神社は、7世紀に欽明天皇によって勅願所となり、平間寺(いわゆる川崎大師)は平安時代後期の1128年に創建されるなど、神社仏閣の門前町として発達した経緯がある。が、本格的な発展は徳川家康が東海道の整備を行ない、正式に川崎宿を設置した江戸以降である。
川崎区は、東海道五十三次の宿場町である旧川崎町、大師平間寺の門前町である旧大師町、企業で働く人々の住宅地であった旧田島町の3地区と臨海部の埋立地で構成されている。
明治期から第2次大戦前にかけて東京から川崎への工場移転が集中し、市街化が進み、戦後、臨海部では鉄鋼と石油コンビナートが集中する重化学工業地帯が形成された。そのため1960年代の高度成長期に公害問題などさまざまな都市問題が発生。その後、環境改善に向けた取り組みを進め、近年では、環境や資源循環型社会に対応した都市型の工場地域となっている。また、民間の研究開発機能が集積している。
高度成長期に“川崎公害”に陥るも、地域資産を活かした活性化が進行
高度経済成長期には、同区工業地帯の集積がピークとなり、大気汚染などの川崎公害が深刻化し、一時は人口減少に陥った。
が、その後、川崎区には、臨海部や多摩川などの水と緑の空間や、東海道川崎宿、川崎大師などの歴史的資源を活かした改善策が奏功し、京急大師線沿線などでマンション建設が進んでいる。
さらに臨海部をはじめ区内には、近代化産業遺産など多くの魅力ある地域資源を活かした活性化が進む。
広域拠点としての川崎駅ターミナル周辺地区は、川崎市の玄関口である川崎駅を中心に、駅東西の回遊性の向上や東口広場のバリアフリー化などの総合的な整備が進められている。
川崎区、なかでも臨海部は、京浜工業地帯の中心として発展してきたことから緑地が少なく、既存の公園の整備、貴重な自然空間である多摩川の魅力を活かす取り組みや民有地の緑化推進などの支援が必要とされる。そのため人口島である東扇島では、広域あるいは甚大災害時の基幹的広域防災拠点としての機能を持たせながら、市内初の人工海浜を有する東扇島東公園が整備された。
川崎駅周辺と臨海工業地帯を除くと、平坦な多摩川の河口平野に戦前からの住宅地に建設された戸建住宅が多い。そこに小規模な工場が点在する商工混在住宅地が広がっている。川崎区と同じ東海道本線や京急本線沿線にある東京大田区や横浜鶴見区などと似たような風情の街並みが広がる。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)