神奈川県川崎市宮前区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
川崎7区でもっとも新しい街、川崎区や幸区とは対照的な住宅都市だ
川崎市宮前区は1982年(昭和57年)7月1日、高津区からの分区により誕生した。区名は一般公募で決定し、「宮前区」が圧倒的に多かったとされている。
歴史的には、この地域の明治時代の字名と村名に由来する。1889年(明治22年)、町村制実施によって宮前(みやさき)村と向丘村が誕生した。
宮前区の村名は、村のほぼ中央に位置した女躰権現社(現:馬絹神社)から梶ヶ谷にかけて「馬絹村字宮ノ前(みやのまえ)」の字名があり、この付近に村役場が設置されたことから名付けられた。現在の区名は、この宮前の村名を継承し、呼称は、馬絹村字宮ノ前(みやのまえ)から「みやまえ」としたもの。
神奈川県・川崎市宮前区のマンション
2018年、神奈川県・川崎市宮前区で販売された新築マンションは313戸、相場価格は4918万円~6796万円だった。宮前区の中古マンション相場価格は2100万円~6090万円だ。
2019年1月現在、川崎市宮前区の人口は、23万683人。総世帯数は10万3229世帯だ。区の総面積は18.61平方キロメートルだ。
区内一帯は東急田園都市線沿線にあり、都心と隣接する地の利から川崎市7区の中でも都会的であるとして人気の高いエリアとなっている。そのためか、宮前区の人口の平均年齢は42.2歳と若く、比較的若い世代の住人が多いことも宮前区の特徴だ。
宮前区は、18歳未満の子どもや6歳未満の乳幼児数が川崎7区のなかで最も多く、区の人口に占める比率も高くなっている。そのため居住期間が短いことや、核家族が多いことなどから、子育てに不安をかかえ、孤立しがちな世帯をなくすよう、家族のみではなく、地域で子育てを支えることが課題とされる。
のどかな農村地帯だった同区域は田園都市線開通で激変する
宮前区は、多摩丘陵にあって川崎市の西北部に位置し、古くは農村地域だった。また、「東高根遺跡」や「馬絹古墳」、奈良時代に建てられた「影向寺」など文化的遺産が数多いエリアでもある。
現在、都市化の進んだ宮前区だが、田園都市線が開通する以前は江戸・東京に近い立地を生かした農村地帯だった。また宮前区は多摩丘陵上に位置していることから古くからの森林が多い里山的な環境だった。現在でも住宅地の合間に樹木が生い茂った林が存在するなど、比較的自然が多く残されているエリアだ。
1966年(昭和41年)に、溝の口~長津田間に東急田園都市線が開通したことで、のどかな農村だった同地域の様相は激変する。さらに、1968年(昭和43年)、東名高速道路川崎インターチェンジの開設などにより、急激な人口増加と都市化が進んだ。東京都心から30km圏内にある郊外住宅地として開発が進み、今なお集合住宅の建設などが進行し、近年の分譲マンションの販売戸数も市内随一となっている。
東京都内へ通勤・通学する住民が多い東京のベッドタウン
住民の多くは、田園都市線などを利用して、東京都に通勤・通学しており、東京のベッドタウンとしての性格が顕著だ。20万人超の人口がありながら、高校が1校しかない。
区内には平瀬川、矢上川及び有馬川などの河川、生田緑地や菅生緑地、東高根森林公園など豊かな緑地資源に恵まれている。しかしながら、大規模な宅地開発などにより緑が漸減しているのも事実。環境を守り自然と調和した緑豊かな魅力あるまちづくりが課題となっている。
宮前区は、東急田園都市線の沿線・各駅を中心に郊外住宅地として発展してため、同区内に地域生活に必要な商業やサービス業などが不足気味だ。商業的な消費活動は、東京(二子多摩川)や横浜(青葉区)に依存している。宮前平・鷺沼駅周辺を中心に身近な買い物ができる地域の生活拠点づくりを進める必要があるとして開発が進められている。
同区の中心的な駅は急行停車駅の鷺沼駅。鷺沼駅からは急行を利用すれば渋谷駅まで4駅17分、二子玉川駅まで2駅10分と至近距離で都心に出られる。また駅前にはバスターミナルがあり、バス利用が中心となる宮前区の多くのエリアを結んでいる。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)