神奈川県厚木市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
小田急本厚木駅を中心に発達する、財政状況に恵まれた特例市
神奈川県厚木市は、神奈川県のほぼ中央に位置し、西に大山を境に秦野市、西から北にかけて愛甲郡清川村と愛川町に、北から東にかけて相模川をはさみ相模原市、座間市、海老名市、高座郡寒川町に、南は平塚市、伊勢原市と6市2町1村に接している。市の総面積は93.84平方キロメートルである。
地勢を眺めると西北から東南に緩やかに傾斜し、西部及び西北部は山岳地帯で数系の小山脈が南北に走っている。同市西部には霊峰阿夫利の峰大山がそびえ、丹沢山系へと連なる。市の東部は、遠く富士五湖のひとつ山中湖から流れる相模川が南北に流れ、これに中津川、小鮎川が併流して、河川の流域に平野が広がっている。
神奈川県・厚木市のマンション
2018年、神奈川県・厚木市で販売された新築マンションは484戸。同市の中古マンション相場価格は1960万円~3920万円だった。
2019年1月現在、厚木市の人口は、22万5089人で、総世帯数は10万4150世帯。東京および横浜の衛星都市として位置づけられている自治体、特例市でもある。
かつて相模国の一角だった現在の厚木は、1871年(明治4年)に明治新政府による廃藩置県おいて、荻野山中藩はそのまま荻野山中県となり、荻野山中陣屋に県庁が置かれた。荻野山中県は設置から4カ月で足柄県に統合された。1876年(明治9年)に、足柄県も廃され旧相模国の地域は神奈川県に編入される。
1927年(昭和2年)、小田急線の開通により京浜方面への往来も活発化した。
1955年(昭和30年)2月1日の町村合併によって、厚木町、南毛利村、睦合村、小鮎村及び玉川村の1町4村が合併して厚木市となり市制施行。さらに同年7月には相川村、依知村の2村を、翌1956年9月には荻野村を編入して今日に至る。
「あつぎ」の地名の由来は、木材の集散地であったところから、アツメギがアツギに変化したという説や、アイヌ語のヤオロケシ(寄木)から名付けられたのだという説などあるが定説はない。
現在、市内を東名高速道路、小田原厚木道路が走り、その大規模なインターチェンジがあり、また、国道246号、同129号その他の主要国道が走り、交差している。一方、鉄道駅は小田急小田原線本厚木駅、同愛甲石田駅の2駅のみとなっており、市内の足はクルマが主となる。
同市中心となる小田急線本厚木駅の手前に厚木駅があるが、こちらの所在地は海老名市である。当初は相模厚木駅として開業、その後、隣駅が厚木駅となったことから、本来の厚木駅という意味で本厚木駅に改称された。また、厚木というと「基地」のイメージもあるが、厚木基地の所在地は厚木市ではなく、大和市、綾瀬市、海老名市の3市である。
1970年代から研究開発型企業が立地する多機能都市に変貌
1970年代後半からは、研究開発型企業の立地や業務・サービスなどの産業も集積され、多機能を有する都市として成長した。
東名高速道路や小田原厚木道路のインターチェンジ、国道129号、同246号ほか重要なバイパス網が交錯しており神奈川県央における物流拠点としても機能する。神奈川県内の都市は、おおむね都心部に通う者のベッドタウンという位置づけをされること多い。が、厚木市は昼間人口が夜間人口を3万人ほど上回る県内唯一の自治体である。
1986年(昭和61年)3月に、郵政省からテレトピア構想モデル都市の指定を受け、翌年3月に建設省のインテリジェント・シティの指定都市、1989年3月に郵政省のハイビジョン・シティ構想モデル都市、同年4月に多極分散型国土形成促進法による業務核都市となり、同年9月には、郵政省テレコムタウン調査対象都市に選定され、情報最先端都市として発展している。
こうした産業背景は、財政事情の良い自治体であることに繋がっている。2015年版の「あつぎの財政事情」によると、同市の財政力指数は1.076。全国特例市の平均は0.950で、神奈川県内で1以上になっているのは厚木市のほか、鎌倉市、箱根町、藤沢市、寒川町の5団体しかないことを考えると、非常に安定した財政事情といえる。2002年4月に特例市に移行し新たな一歩を踏み出し、2015年2月1日に、市制60周年を迎えた。
現在、厚木市は、業務核都市として首都圏の機能の一部を担う役割が求められており、これまでの成果と都市機能の集積を生かし、新たな時代を展望した厚木らしさの創造に向けた特色ある街づくりを推進している。
なお、ユニークな企業として左党によく知られている元祖「日本の地ビール」で、いわゆるエールビール醸造会社であるサンクトガーレン社は、1997年から厚木市に本社ならびに醸造所を置く。(http://www.sanktgallenbrewery.com)
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)