東京都青梅市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
東京内陸の工業都市は一方で、首都圏の観光・レクリエーションの拠点
東京都青梅市は東京都西部の西多摩地域最大の行政市であり、立川市、八王子市、多摩市とともに東京都の核都市に指定されている。関東山地と武蔵野台地にあり、中部を多摩川が東へ流れる。市域東部に1960年代に工業団地が造成され、ハイテク関連企業の進出や市街地あった既存工場の移転が進められた。
東京都・青梅市のマンション
2018年、東京都・青梅市の中古マンション相場価格は1260万円~3220万円だった。
青梅市の2019年1月現在の人口は、13万4086人。総世帯数は6万3142世帯だ。
東京都の西北、広大な市域は首都圏の住民の貴重な憩いのエリア
青梅市は、東京都の西北部、都心から約50~60km圏に位置し、「秩父多摩甲斐国立公園」の玄関口にある豊かな自然環境に恵まれたエリアだ。同市の総面積は、東京都の約5%を占める103.26平方キロメートルと広大であり、その約 60%を占める豊富な森林と東西を貫く多摩川は、首都圏の観光・レクリエーションの場として東京都民の憩いのエリアでもある。
市域西部には御岳山に代表される山地が分布し、それらの山地を水源とする多摩川水系や荒川水系の河川が流れ、東部の扇状地には市街地が形成され、その南北には丘陵地が市街地を包み込むように分布。そのさらに東は農地が広がっている。
青梅地方は多摩川などの豊かな水に恵まれ、これら河川流域から旧石器時代、縄文時代の遺跡が数多く発見され、古代から狩猟生活を中心とした集落が発達していたとされている。
弥生時代になると霞川流域では稲作が始まり、水田がひらかれて都内でも最大規模の集落が形成された。奈良・平安時代を経て集落はさらに拡大しつづけ、平安朝には武蔵国府造営のための用材供給地として発展した。
鎌倉時代のころから土豪の三田氏が豊富な林産資源を背景に勢力をのばし、多摩川上流域を支配。三田氏は、天寧寺、塩船観音寺、住吉神社、武蔵御嶽神社などの神社仏閣の創建再興に力を注いだ。1558年~1569年の永禄年間に北条氏照に滅ぼされるまで約300年にわたって青梅地方に独自の文化を築きあげた。
北条氏が1590年(天正18年)に滅びると徳川氏が関東に入国、やがて江戸幕府を開くと青梅の大半は徳川幕府の直轄地となる。江戸の経済・文化の発展にともなって、青梅では石灰、木材、織物などの産業が発達する。
明治期の鉄道開通で大きく姿を変えるも、東京の地酒産地でもある
発展する青梅を中心とした40カ村の村々は、1889年(明治22年)市制町村制によって1町6カ村に統合される。1894年(明治27年)には立川~青梅間に鉄道(現JR青梅線)が開通した。
1951年(昭和26年)に青梅町・霞村・調布村が合併して「青梅市」が誕生した。さらに1955年(昭和30年)に、隣接する吉野・三田・小曾木・成木の4カ村が編入されて現在の市域となった。
1967年(昭和42年)にはじまった日本最大級の市民マラソン大会「青梅マラソン」など、青梅市の自然を活かした山岳マラソンが盛んな自治体だ。
また、東京の地酒として有名な「澤乃井」をつくる、小澤酒造の本拠地が青梅市。同酒蔵では、積極的に酒蔵見学を公開、澤乃井を取り巻く自然と酒づくりに対する基本姿勢を訴えている。
2016年に発覚した東芝の不正決算報告で、企業城下町ともいえる青梅市内にあった大規模工場を含む東芝青梅事業所は、2017年3月に閉鎖。1968年に解説した工場敷地は東京ドーム2.5個に匹敵する。1980年代に人気を誇ったワープロ「ルポ」の生産、以降はノートパソコン「ダイナブック」などの開発・製造拠点として栄えた。最盛期には4000名超の従業員が働いていた。
跡地は野村不動産が買い取り、2019年オープンを目指して再開発され、大型商業・物流施設に建て替える予定だ。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)