東京都清瀬市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
近郊農業も盛んな、程よい利便性と高度医療施設が立地する近郊住宅都市
東京都清瀬市は、武蔵野台地の東北端手前約15km付近の平坦部に位置している。市域は、埼玉県新座市と所沢市に楔のように入り込んでいる。西の所沢市とは柳瀬川で、南の東久留米市とは野火止用水で接する。市域は、およそ6.5km×2kmの狭長エリアで、標高は、西側で東村山市に接する竹丘が65m、北東の埼玉県境の下宿で20mだ。総面積は10.23平方キロメートル。このように、わずか6.5kmの距離に40m以上の標高差があり、平坦とはいえ西が高く東に進むほど低い地形となっている。
東京都・清瀬市のマンション
2018年、東京都・清瀬市で販売された新築マンションは80戸だった。また、同市内の中古マンション相場価格は2170万円~3920万円だった。
清瀬市の2019年1月現在の人口は、7万4737人で、そのうち外国人は1262人。総世帯数は3万5454世帯である。同市の人口は国勢調査単位で概観すると、つねに漸増傾向にある。しかし、居住人口(夜間人口)に比べて昼間人口は、6万人ほどと、1.4万人ほど減ってしまう。市内の就業者の3割以上(2.3万人ほど)が東京特別区へ通勤する、いわゆるベッドタウンだ。
東京都を代表する近郊農業が盛んな住宅都市
1954年(昭和29年)に清瀬町が誕生。1970年(昭和45年)に人口5万人強で市制施行する。
中清戸地区を中心に農地が市域の4割を占める。また、2002年時点で、市内農地の87.0%が生産緑地に指定されている。人参やほうれんそうなどの野菜栽培が中心。なかでも、黒土が深く柔らかいというメリットを活かした根菜類の栽培が活発だ。人参は都内の出荷額の半分を占めている。そのため、人参を利用した「にんじんジャム」や「にんじん焼酎」なども市内で販売されている。また酪農も比較的盛んで、中清戸の清瀬市役所周辺に集中して立地している。
豊かな自然と快適性、程よい利便性を兼ね備えたコンパクトシティ
市域に鉄道が走ったのは、1915年(大正4年)の武蔵野鉄道(現・西武池袋線)。その鉄道が電化された9年後の1924年(大正13年)に清瀬駅が開設された。現在、西武池袋線を利用するとターミナル駅「池袋」まで、約30分でアクセスできる。
その清瀬駅北口エリアに位置するのが元町地区。清瀬駅は同市の交通網の拠点となり、西武池袋線沿線のなかでも、利用客の多い駅のひとつに数えられる。北口駅前は、1995年(平成7年)から再開発が進められ、市の表玄関として機能し、市内最大の商業ゾーンとなっている。
清瀬駅南口の松山エリアは、かつて結核療養施設群が集積し、日本の結核医療の一端を担っていた。現在でも結核予防会結核研究所があり、世界で最高水準の結核病学の研究が進められ、研究・研修・国際協力の分野で活発に事業を進めている。
2014年に同市が実施した市民の意識調査「第12回清瀬市政世論調査」でも、市の将来像としては、「清瀬の特徴のひとつである医療福祉施設を生かした都市」が最も高かった。
また、松山地区の商店街は“南口ふれあい通り”が象徴する清瀬の中心的な買物・レジャーゾーンとして賑わっている。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)