埼玉県所沢市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
日本の飛行場発足地、東京の水がめ「狭山湖」、そして「トトロの森」
埼玉県所沢市は、東京都心から30km圏内にあり、東京都多摩北部に接する埼玉県南西部に位置する。武蔵野台地のほぼ中央にあり、狭山丘陵付近に源を発する柳瀬川、東川などが流れる。市の総面積は72.11平方キロメートルだ。
埼玉県・所沢市のマンション
2018年、埼玉県・所沢市で販売された新築マンションは261戸。同市で販売した新築マンションの相場価格は3549万円~4268万円だった。同市内の中古マンション相場価格は1820万円~5040万円。
2019年1月現在、埼玉県所沢市の人口は、所沢市の発表によると34万4320人。総世帯数は15万9629世帯だ。人口は埼玉県内で4位である。
所沢市内南西部の小手指は「小手指ヶ原」と呼ばれ、鎌倉時代の末期に新田義貞の軍勢と鎌倉幕府軍が戦った古戦場が残る。また、江戸時代、柳沢吉保によって原野が開拓され、上富(かみとめ)、中富(なかとみ)、下富(しもとみ)の3つの村ができ、三富開拓地と呼ばれている。
日本初の飛行場建設で、日本航空事業発祥の地
1911年(明治44年)には、日本国内初の飛行場がつくられ、日本の航空発祥の地となっている。これは、同年4月15日に臨時軍用気球研究会の研究試験場として発足した飛行場で、当時の陸軍に属していた。
所沢飛行場での初飛行は、1911年(明治44年)4月5日、徳川好敏大尉が操縦する「アンリー・ファルマン機」が、高度10m、距離800mを1分20秒で飛行したのが最初だ。この飛行は、所沢飛行場を公式にお披露目するための練習飛行であった。初飛行したファルマン機にちなみ、所沢駅西側には「ファルマン通り」という繁華街が存在する。
飛行場開設以来、研究会あるいは航空大隊として変遷しながら飛行機・飛行船・気球などに関する研究、訓練に使われた。その後、1924年(大正13年)に、所沢陸軍飛行学校と改称した。
西武新宿線「航空公園駅」の徒歩8分の場所に、「所沢航空発祥記念館」があり、公式の飛行場から初めて飛び立った航空発祥の地として残したその足跡を知ることができる。
東京の水がめ「狭山湖」建設、埼玉県8番目の市制施行自治体
1927年(昭和2年)に、東京市民の水がめとして山口貯水場(現:狭山湖)の建設が始まり、1934年(昭和9年)完成。このため山口村の旧勝楽寺村と上山口村にわたる一帯が水没し、村の住民は隣の小手指などに移住した。狭山湖畔からの景観や付近の桜並木は、同貯水場の完成直後から観光名所となり、後に周辺一帯が一大レジャーエリアとして開発される端緒となった。
1943年(昭和18年)、所沢・小手指・富岡・吾妻・村井・山口が合併。
所沢が市制を施行したのは、1950年(昭和25年)で、埼玉県で8番目の市として誕生した。当時の人口は4万2000人余りで、茶園や畑の広がる農業中心の市だった。その後、東京に近く交通の利便性などから人口が増加し、現在では人口34万人を超える埼玉県南西部の中心都市として発展した。
東京のベッドタウンとして小手指、新所沢地区には集合住宅・マンションが数多く建設された。JR武蔵野線開通後は、東所沢の住宅開発が進み、このエリアの人口が急増している。2020年、東京オリンピック開催年に所沢市は市制70年を迎える。
市の中央部、所沢飛行場が米軍通信基地として利用されている地域が残るが、返還運動により今ではその約7割が返還され、跡地には、3つのホールを備えた市民文化センターミューズ、面積50.2ヘクタールの所沢航空記念公園、市役所、世界有数の規模を誇る市民体育館など、国や県の施設が整備されている。また、中心市街地では再開発が行なわれ、商業・産業の活性化を進めている。
映画「となりのトトロ」のモデル「トトロの森」はナショナルトラスト地
プロ野球「埼玉西武ライオンズ」の本拠地球場である西武プリンスドーム所在地としても有名だ。
また、スタジオジブリの映画「となりのトトロ」のモデルと言われる「トトロの森」が所沢市にある事でも知られる。この森は、狭山丘陵の自然を保存するために、公益財団法人「トトロのふるさと基金」が取り組みを進めるナショナルトラスト事業によって確保され、保全されているトラスト地の愛称だ。
「トトロのふるさと基金」が、寄付金によりはじめて森を買い取ったのは1991年。そこは「トトロの森1号地」と愛称が名付けられた。それ以降、土地を買い取り保全するナショナルトラスト活動を展開し、2016年11月までに40カ所のトトロの森が誕生した。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)