千葉県白井市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
1979年、北総鉄道の開通とともに人口増、急発展した田園住宅地
千葉県白井市(しろいし)は、千葉県の北西部に位置し、東は印西市と八千代市、南は船橋市、西は鎌ヶ谷市、北は柏市の5市に接していて、春には梨の花が咲きほこる自然豊かな田園都市であり、その自然のなかにある住宅都市でもある。
白井市は東西8.7km、南北7.7km、周囲34.8kmの総面積が35.48平方キロメートルのコンパクトシティである。周辺の佐倉市、四街道市、成田市、八街市、富里市、印旛郡の2町と合わせて印旛地域と呼ばれる。白井市はそのなかでもっとも東京に近い。
千葉県・白井市のマンション
2018年、千葉県・白井市で販売された中古マンション相場価格は1470万円~2450万円だった。
2019年1月現在、千葉県白井市の人口は、同市の発表によると6万3723人。総世帯数は2万5766世帯である。
白井市の知名度は千葉県内でも低く、2017年3月に行われた知名度調査では、「白井市を知っている」と答えた人の割合は、隣接自治体の鎌ヶ谷市民が86%、印西市民が85.8%、船橋市民が38.6%だったものの、隣接しない千葉県内の自治体では、千葉市と市川市民が、わずか20%だった。そのため市では知名度アップ策として、2018年2月19日から26日まで、名前に「色」がつく全国8つの鉄道駅などにポスターを掲示したことがある。
北総鉄道が開通で沿線のニュータウンが開発され、飛躍的に人口増加
純粋な農村地域だった白井町に1979年(昭和54年)、北総鉄道が開通した。そのため、沿線で開発されたニュータウン街区に住民が多数入居し、人口が飛躍的に増加した。
白井市は、都心から30kmの距離にある街で、都営浅草線・北総線を利用して日本橋から48分、成田空港から約34km。クルマでアクセスするなら、東関東自動車道で千葉北インターチェンジから約18km、常磐自動車道で柏インターチェンジから約18kmの位置にある。
市は標高20~30メートルの平坦な北総台地が広がる。市の北側には手賀沼、南側には印旛沼へ流れる神崎川や二重川が流れる。白井は印旛沼水系の中でも上流域にあたり、川が小さく水田になる土地が限られ、市内では明治以降に梨の栽培が普及し、現在では全国有数の梨の産地として知られている。白井市は近年、市域を東西に横断し都内に通ずる北総鉄道の各駅を核とする千葉ニュータウンを中心に人口増加のいちじるしい地域だ。その一方で、市には田畑や林も多く残り、谷津周辺では湧水が観察できるなど、自然の豊かな田園都市でもある。
白井で人々が暮らし始めたのは、約2万7000年前の旧石器時代田とされる。以降、縄文時代から古墳時代にいたる各時代の遺跡で確認されている。平安時代初頭の大同年間(806~809年)の竜神伝説が残る「清戸の泉」は千葉県指定史跡で、白井市北部には平安時代の末まで国衙領として平塚郷が成立していたようだ。鎌倉時代、北条実時の支配下に置かれ、南北朝の動乱を経て室町時代に入ると、千葉氏や原氏など在地勢力の強い影響を受ける。
江戸時代、市域一帯が徳川幕府の軍用馬・育成地として発展
江戸時代、白井は江戸から十里内に位置した旗本領となる。市域に広がる山林原野では、江戸幕府の軍用馬を育成する目的で、十余一・桜台地区には印西牧、冨士地区に中野牧が設置され、半野生の馬が放牧される牧場だった。
また、鮮魚を大都市である江戸に供給するために、銚子から利根川を舟の輸送路が生まれ、白井はその中継地として発展する。
明治に入ると牧場は払い下げられ、開拓が始まる。1874年(明治7年)に、現在の大字の基となる行政区画が成立。その後、離合集散を繰り返し、最終的に戦後の1954年(昭和29年)、昭和の大合併によって永治村の一部と合併し、白井村がほぼ現況に近い形で成立した。
東京五輪が開催された1964年(昭和39年)、白井は町制へ移行し、以後昭和40年代には国道16号線や白井工業団地、千葉ニュータウンの造成が行なわれ、1979年(昭和54年)に千葉ニュータウンの入居が開始されて以降は人口増加が進み、2001年に白井は市制に移行し、千葉県内で32番目の市となった。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)