神奈川県横浜市中区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
もっとも横浜らしい「歴史と異国情緒」が感じられる横浜開港の街
現在の横浜・中区一帯は、1859年(安政6年)の横浜港・開港以前、寒村である横浜村、吉田・太田屋新田の埋立地、その周辺の半農半漁の本牧・根岸の村々という静かな地域だった。横浜港が開港すると、関内地区(旧・横浜村)を居留地とする外国人居住者が増えて次第に発展する。
神奈川県・横浜市中区のマンション
2018年、神奈川県・横浜市中区で販売された新築マンションは759戸。同区で販売した新築マンション相場価格は6211万円~7431万円だった。同区内の中古マンション相場価格は2730万円~8540万円だ。
2019年1月現在、中区の人口は、15万1474人。総世帯数は8万5155世帯だ。外国人登録者が多く対人口比率が高い。面積は21.28平方キロメートル。
中区は神奈川県庁や横浜市役所、地方裁判所や神奈川県警本部など県内の行政機関が集中する神奈川県の中心ともいえる自治区だ。近年、都心回帰傾向とみなとみらい線の開通でタワーマンション建設が進み、人口は増加傾向にある。
同区の中核駅である桜木町駅、関内駅、石川町駅、元町中華街駅周辺地域は、横浜市の都心(ツインコア)である「横浜都心」に指定されている。
「開港以来の歴史と異国情緒」溢れる街並みに都市中枢機構を内包
関内地区は横浜市の市名のもととなった地域。いわゆる横浜開港の街である横浜・中区にはさまざまな文化・観光施設があり、「開港以来の歴史と異国情緒」という横浜らしさが感じられる街だ。
横浜の中心区として行政、業務、商業、港湾、観光など、高度な都市中枢機能を担ってもいる。開港からの歴史を紹介・展示する施設や、歴史的建造物、港を眺望できる施設など、早くから海外と繋がった横浜らしい文化にふれることができる。
1927年(昭和2年)の区制施行時には中区の人口28万人と全市人口(53万人)の半分以上を占めていた。 その後、1943年(昭和18年)に南区を、翌1944年(昭和19年)に西区を分区し、1945年8月に終戦を迎える。戦後、区内の大半が連合軍に接収され、被災からの復興が遅れたものの、次第に都心機能を回復し、工業・港湾・業務・商業・居住機能を合わせもつ地域として新たな発展を果たす。
中区は「開港以来の歴史と異国情緒」溢れる街並みで、もっとも横浜らしい街でもあり、横浜の中心区として行政、業務、商業、港湾、観光など、高度で多様な都市中枢機能を担っている。歴史的遺構を巧みに取り込みながら、シンプルで優れた空間デザインなどが評価され、日本大通り・象の鼻地区が、2011年(平成23年)5月に都市景観大賞を受賞した。
関内、元町、山手エリア、そして中華街などに多くの来街者が
関内エリアは「みなとみらい線」の馬車道駅から元町・中華街駅に至るエリアで、横浜三塔と呼ばれる神奈川県庁本庁舎(キング)、横浜税関(クイーン)、横浜市開港記念会館(ジャック)が有名。これは横浜港に入港する船舶の船員が、船から見えるこれら塔をこれら愛称で呼んだ。この塔に航海の安全を祈り出港し、この塔を目印に入港したと言われている。横浜スタジアムのある横浜公園、氷川丸で有名な山下公園があり、ヨコハマ大桟橋も整備され、休日は家族連れの憩いの場所として利用されている。
元町には「キタムラ」「スタージュエリー」などの横浜のオリジナルブランドショップが並び、山下町には「バーニーズニューヨーク」などのセレクトショップなどがありヨコハマファッションでリードする。国内有数とされる中華街には華正楼、重慶飯店、萬珍楼をはじめとして数多くの中華料理店が集中する。
山手エリアは、明治時代から外国公館や英国領事館、フランス領事館が置かれ、横浜市のなかで当初から外国人が多く住んだ街だ。なかでも「海の見える丘公園」周囲には、明治・大正時代に建てられた外国人の邸宅が残り、記念館などとして公開されている。
また、中区には横浜を代表する、野毛、伊勢佐木町、馬車道、元町、中華街などの特色ある街があり、国内のみならず海外からも多くの人々が訪れる港ヨコハマを代表する街区といえる。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)