兵庫県高砂市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
古くからの景勝地は日本唯一の“ブライダル都市”宣言の街、中核工業都市
兵庫県高砂市は、「高砂やこの浦舟に帆をあげて……」と古くからめでたい謡曲「高砂」(世阿弥作)で知られる。市域は兵庫県の中南部、播磨平野の東部に位置し、東に加古川が流れ、その豊かな水利は優れた景観、肥沃な土地となって市民生活の大きな根源となっている。
南に瀬戸内播磨灘を臨み、古くから白砂青松の風光明媚な泊として栄えてきた。東西8.00km、南北が9.57km、総面積は34.38平方キロメートルだ。
兵庫県・高砂市のマンション
2018年、兵庫県・高砂市で販売された中古マンション相場価格は1330万円~2170万円だった。
2019年1月現在、高砂市の人口は、同市の発表によると9万1159人で、総世帯数は3万9356世帯である。人口は1998年(平成10年)の9万9422人をピークに減少に転じており、2007年(平成19年)以降、若干の増加傾向となったものの、2010年(平成22年)に再び減少に転じている。
冒頭で記した「高砂やこの浦舟に帆をあげて……」を受けて1988年にブライダル都市を宣言した自治体である。
多くの歌人たちに愛された古くから景勝地
高砂市西部の日笠山や中央部の竜山などの丘陵地では多くの遺跡が発見されており、原始・古代の人々の集落があったことが分かっている。
また、高砂は古くから景勝の地であったため、多くの歌人たちに愛され、「稲日野も行き過ぎがてに思へれば心恋しき可古の島見ゆ(柿本人麿)」などをはじめとして、多くの和歌が詠まれ、万葉集などの歌集に残る。
近世になって、姫路城主池田輝政公が1601年(慶長6年)に加古川の流れを高砂に導いて加古川舟運の河口港を開き、大きく高砂が発展する。その後、本田忠政公によって本格的な町づくりが進められ、加古川流域の物資の集散地になった。米作のほか製塩業や綿業、採石業などの地場産業が発達し、商品流通も盛んに行われるようになった。
播磨臨海工業地帯の中核工業都市として発展
近代になると大阪や神戸などの大都市に近いこと、豊富な用水があること、埋め立てしやすい遠浅の海岸などが企業の立地条件となって、機械・製紙・化学・食品・電力などの大工場が進出する。第2次大戦前までは軍需産業が盛んだった。戦後においては市制施行直後の1955年(昭和30年)、市の「工場誘致条例」が施行され、軍需工場の払い下げ地に重化学工業や食品製造業分野の工場が多く進出する。1961年(昭和36年)から県の事業によって海岸線が約280万平方メートルにわたって埋め立てられ、播磨臨海工業地帯の中核工業都市として発展する。
1954年(昭和29年)、高砂町・荒井村・伊保村・曽根町が合併して高砂市が誕生し、その後1956年(昭和31年)に阿弥陀村・米田町を編入、翌1957年に北浜村を併合し、ほぼ現在の高砂市域となった。
市内には、高砂神社・生石神社・鹿嶋神社・曽根天満宮・十輪寺などの社寺や石の宝殿など史跡が多く、市内各神社の秋祭りなどの行事には多くの人々が訪れる観光都市で、東播磨地域の中核都市でもある。
市内の道路網は、国道2号、国道250号(明姫幹線)、高砂北ランプから東へ加古川バイパス、高砂西ランプから西へ姫路バイパスが通っている。鉄道網は、臨海部東西をJR山陽本線と山陽電鉄が走る。代表駅は山陽電鉄の高砂駅。JR三ノ宮駅へは、JR宝殿駅から普通列車に乗り、隣の加古川駅で新快速に乗り継いで最速で34分。阪神三宮駅には高砂駅から直通特急で43分の距離感だ。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)