神奈川県横浜市港南区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
横浜開港後に横浜港の後背地として開発が進んだ副都心・住宅都市
港南区は横浜市の南部に位置し、山地や丘陵地からなる平坦な土地が広がり、区内に流れる大岡川と、柏尾川の支流である平戸永谷川上流の谷から形成される台地が、細かく入り組む地形となっている。東は横浜磯子区、西は戸塚区、南は栄区、北は南区に接する。
横浜市・港南区のマンション
2018年、神奈川県・横浜市港南区で販売された新築マンションは669戸で、相場価格は不明。同区内の中古マンション相場価格は2170万円~6720万円。
2019年1月現在、港南区の人口は、21万5116人。総世帯数は9万9724世帯だ。同区の総面積は19.86平方キロメートルである。
江戸時代の寒村が住宅都市として急速に発展
江戸時代までは、横浜市域そのものが寒村であり、現在の港南区一帯も主要道周辺に集落が点在した、緑豊かな丘陵に囲まれたのどかな農村地帯だった。それが、1859年(安政6年)の横浜開港とともに横浜港の後背地として徐々に開発が進み、産業が発展する。なかでも横浜スカーフで知られる捺染(なっせん)業は大岡川の水流をいかして発生し、港南区の地場産業として有名だ。
また、都市部へ供給する野菜・花卉(かき)の栽培も盛んに行なわれ、1930年(昭和5年)に湘南電気鉄道(京浜急行)が開通し、上大岡駅が開業。その後、ベッドタウンとして大規模な宅地開発が進み、田園都市から住宅都市へと大きく変貌を遂げた。
港南区は、1969年(昭和44年)に横浜市南区から一部分割によって港南区が誕生した。当時の人口は約9万6000人ほどだった。高度経済成長期に、横浜市営地下鉄1号線(現:ブルーライン)の開通、港南台駅の開設などで、野庭団地、港南台団地などといった巨大団地が形成され宅地開発・市街化が進み、その後も大規模な開発が行なわれ人口が爆発的に増加した。現在、人口約22万人の住宅都市となった。そして2019年(平成31年)に、区制50周年を迎える。
旧武蔵国と相模国を分ける国境の道が、区を南北に縦断する。この道は鎌倉へ通じる街道として、古来より重要な役割を果たしてきた。旧くは、緑豊かな自然丘陵に囲まれた農村地域だったが、この鎌倉街道沿いに市街地が発達した。
現在でも区の西部には、農業専用地区が広がり、さつまいもやトマトなどの栽培を行なっている。久良岐公園や下永谷市民の森など貴重な自然が残っている。
鉄道交通網、道路交通網に恵まれた至便な街
港南区の鉄道交通網は、京浜急行線、JR根岸線、市営地下鉄の3本の鉄道が通り、通勤・通学の利便性は高い。なかでも京浜急行本線が通る上大岡駅、港南台駅前地区は商業施設が集中したエリアとなっている。
とくに上大岡駅周辺地区は、横浜市における主要な生活拠点。1981年(昭和56年)に発表された「よこはま21世紀プラン」において副都心に指定された上大岡は、駅ビルを皮切りに、camio、miokaなどの再開発が進み、市街地再開発事業が進行中である。
道路網は、区の中央部に横浜横須賀道路が縦断、鎌倉街道との交点に日野インターチェンジ、環状3号線が交わる場所に港南台インターチェンジが設けられている。区の南北に鎌倉街道が縦断している。
横浜港南区役所は、地震の揺れを軽減する免震構造を採用し、機械設備を上層階に設置し、大地震や風水害が起きた場合も迅速に対応できる新庁舎を建設していた。2017年3月21日に新庁舎に完全移転が終了し、すべての業務を新庁舎で開始。多くの来庁者が訪れる戸籍課や保険年金課を2階に設置し、エスカレーターでアクセスしやすい設計となっている。土曜開庁時は、対象業務をすべて2階で手続き出来るようになった。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)