兵庫県神戸市長田区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
神戸市9区のなかでもっとも人口密度が高く、震災復興した庶民的な街
兵庫県神戸市長田区は、市の中央部よりやや西に位置し、北に高取山、南に海、新湊川、苅藻川に形づくられた南北に細長い区域だ。その歴史は古く、条里制の痕跡が今でも残っている。明治から大正期に市街地の開発が行なわれた。
兵庫県・神戸市長田区のマンション
2018年に兵庫県・神戸市長田区で販売された新築マンションは60戸で、相場価格は3754万円。中古マンション相場価格は1470万円~3150万円である。
神戸市長田区の人口は、2019年1月現在、9万8596人で、総世帯数は5万5157世帯だ。同区には、神戸三大神社のひとつ「長田神社」があることでも有名。面積は11.36平方キロメートルで、神戸市9区のなかでもっとも小さい。そのため人口密度は市内でもっとも高く、8496人/平方キロメートルだ。
戦後の宅地開発により、庶民的な住宅街として下町情緒のあふれるエリア
1868年(慶応3年)、兵庫開港が行なわれ、明治12年(1879年)には神戸市の前身神戸区が、神戸郡・兵庫郡・坂本村を併せて成立した。明治22年(1889年)この神戸区に葺合村・荒田村を併せて神戸市として発足し、長田地区は、東尻池・西尻池・長田・駒ケ林・野田・御崎・今和田新田・吉田新田を併せて林田村となった。明治29年(1896年)林田村・湊村・池田村を神戸市に編入し、神戸・湊東・湊西・葺合・湊・林田の6区となる。林田区が現在の長田区の前身である。
戦後、同区は丸山を中心として住宅地開発が進み、山麓部にも市街地が拡がった。庶民的な住宅の街、中小企業の街として下町情緒のあふれる街として発展した。
長田区は、兵庫区とともに神戸西部地域における産業の中心として、また、マッチ・ゴム・ケミカルシューズなどの地場産業の活況で神戸経済を支えてきた。その産業を基盤に、地域に根ざした商店街や小売市場、住居と職場とが一体となった下町のコミュニティが形成された街だ。区内には全国でも有数のコリアンタウンがあり、大阪生野区と並んで在日コリアンの多く住む街である。区内の人口は、太平洋戦争直前の昭和15年(当時は林田区)には22万9356人で、神戸市の23.7%を占めていた。戦後になっても、産業の発展とともに人口は増加した。
人口減少、震災被害から地元商店街の活性化などで復興を遂げる
しかし、社会経済情勢や産業構造の変化等から、人口の減少や高齢化、地場産業の停滞など、インナーシティ現象が顕著になってきている。
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、長田区の既成市街地は大きな被害を受けた。長田区内では、地震で921名の命が奪われ、家屋は全半焼が4772棟、市内の全半焼の約6割となる約30ヘクタールが焼失、全半壊が2万3803棟にのぼるなど壊滅的な打撃を受けた。そのため、震災の年の秋、1995年(平成7年)10月1日、区内の人口は9万6807人にまで減少した。しかし、地域住民のつながりが深いこの街では、住民が一丸となって協力し復興を遂げた。
長田区には「そばめし」などの独自の食文化があり、それらを全国に発信しようとさまざまなイベントが毎年開催されている。また、近年は鉄人28号 や三国志、長田神社前商店街のキャラクター「グージー」などで、街の活性化が図られ多くの人が訪れる街になった。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)