兵庫県加古川市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
重工業を擁する播磨臨海工業地帯の中核、一方で農村風景が残るのどかな街
兵庫県加古川市は、東播磨地方の中心部に位置する。1950年に市制施行し、「加古川」の水の恵みを受けて発展してきた、かつての農村だ。水と緑に恵まれた街で人々のより豊かな暮らしが営めるよう取り組んでいる自治体だ。
兵庫県・加古川市のマンション
2018年に兵庫県・加古川市で販売した新築マンションは78戸だった。中古マンション相場価格は1050万円~3010万円である。
現在、加古川市は特例市に指定されており、2019年1月現在、加古川市の人口は26万5716人で、総世帯数は11万4259世帯である。東播磨地方東の面積134.38平方キロメートルの中核都市として機能している。市内には市名の由来となった一級河川の「加古川」が流れている。
歴史遺産が数多く残る街「かこがわ」は神戸製鋼進出で発展
加古川市には古墳や寺院の遺跡が数多く残っており、古代は地方豪族の領地であったと考えられている。589年、聖徳太子が仏教を広めるための道場として刀田山四天王寺聖霊院(鶴林寺)を建立、境内に七堂伽藍が整ったとされる。周辺地域は門前町として繁栄した。
鎌倉時代には、平清盛の領地である大巧田に由来する五箇荘(ごかのしょう)の支配が、播磨の守護に引き継がれ、加古川は播磨の守護所として存続した。
江戸時代には、加古川宿が置かれて、西国街道の宿場町として繁栄。
明治以降は農業、漁業から軽工業へと産業転換が進み、その後は播磨臨海工業地帯の拠点として重工業の街として発展した。
1950年(昭和25年)、旧加古郡の加古川町、尾上村、平岡村、神野村、野口村が合併し、人口9万7000人あまりの加古川市として市制施行。その後も周辺の自治体を編入し、1979 年にほぼ現在の市域となる。
1955年(昭和30年)に人口が10万人を超える。1960年代に臨海部の埋め立てがはじまり、1970年に神戸製鋼加古川製鉄所が操業を開始した。その後、人口が急増し、全国一の人口増加率を記録する。
南部の加古川町、平岡町、別府町にマンションなどが集中する住宅都市
公共鉄道としてJR西日本の山陽本線と加古川線のほか、山陽電鉄が通っている。鉄道網の利便性から神戸市や姫路市のベッドタウンとして発展。姫路市まで電車で約10分、神戸市三宮まで30分という距離感だ。
市街地は、JR加古川駅周辺の加古川町一帯やJR東加古川駅周辺の平岡町、山陽電気鉄道・別府駅周辺の別府町(べふちょう)が発展している。人口もこの3町中心とする南部に集中し、中高層マンションが林立している地域だ。
神戸製鋼所に代表される重化学工業地帯や大型量販店の激戦区となっている南部と、農村風景が残るのどかな雰囲気の北部とでまったく異なった景観を持った二面性のある街といえる。臨海部の金沢町は全域が神戸製鋼加古川製鉄所の敷地で、居住者人口ゼロの町である。
加古川市は靴下の生産量は日本一を誇る街だ。臨海部には銑鋼量国内上位の神戸製鋼加古川製鉄所と技術開発センターがあり、内陸部には、ウール生地メーカーの日本毛織(ニッケ)工場がある。一方、神戸牛の生産地でもあり、多くの有名牛肉産地に仔牛を供給する。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)