埼玉県久喜市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
日光街道の田園都市は、合併を繰り返して拡大する商業都市でもある
埼玉県久喜市は、関東平野のほぼ中央、埼玉県の東北部に位置し、茨城県に接する、都心まで50km圏にある自治体だ。市の中央部を走るJR宇都宮線が東京都心部や北関東地方を結び、南北に延びる東武伊勢崎線と東武日光線は、多くの市民の通勤通学の足として利用されている。両線が接続する久喜駅が市の中心部となり、公共施設、商業施設、住宅地が駅周辺を中心に広がる。
埼玉県・久喜市のマンション
2018年、埼玉県・久喜市で販売された中古マンション相場価格は1750万円~2590万円だった。
2019年1月現在、埼玉県久喜市の人口は、同市の発表によると15万3709人。そのうち外国人は2765人だ。総世帯数は6万5987世帯だった。久喜市域の面積は82.42平方キロメートルである。
日光街道の拠点として発展した田園都市
現在の久喜市域は、江戸時代に久喜藩が立藩され、日光街道の整備により常陸国や下総国との物資流通の拠点となり、農業や商業が発展した田園都市だ。
1889年(明治22年)の全国町村制施行で、南埼玉郡久喜本町・久喜新町・上早見村が合併して久喜町が成立。
1954年(昭和29年)に南埼玉郡大田村・江面村・清久村と合併し、新たな久喜町となり、1971年(昭和46年)に市制施行で久喜市が誕生した。その後、交通アクセスの充実などが進み、20年後に人口は倍増した。
2007年、久喜市、鷲宮町、菖蒲町・白岡町の1市3カ町による合併協議会が設立され(後に栗橋町が参加の意向を示し協議会に参加し、協議の結果、合併協議から離脱した白岡町を除く久喜市・鷲宮町・栗橋町・菖蒲町の1市3カ町で、合併新法の期限内に合併を行なうことで合意した。
2010年(平成22年)、合併が成立し、市域を拡大して現在の姿となった。
交通利便性を活かした商業都市としても発展
市内を東北自動車道が縦断し、久喜インターチェンジで県道3号さいたま栗橋線と接続している。県道3号線は栗橋で国道125号線に接続、その先で国道4号線と接続する。また、首都圏中央連絡自動車道が一部区間で開通し、成田空港までつながり、本市の道路網の利便性が更に向上することが見込まれることから、新たな産業拠点の開発に取り組み、雇用の創出、地域経済の活性化が期待されている。
大消費地である東京の近郊農業地として低地では稲作、高台では梨などが栽培される。また、イチゴの栽培も盛んで、減反政策の一環で蕎麦への転作が進む。コシヒカリなどを栽培してきた稲作においても「彩のかがやき」を奨励品種として栽培を奨励している。
久喜地区は古くから商業都市として発展してきたため、古くからの商店も多く、趣のある店構えがみられる。しかし、そのような商店の昔ながらの店構えは現在、徐々に失われつつある。久喜市は周辺からの道路交通の便が良いため久喜幸手新道などの幹線沿いに、イトーヨーカ堂などの大型商業施設の出店が盛んだ。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)