埼玉県川口市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
「キューポラのある街」から中核都市を標榜する住宅都市へと変貌
川口市は埼玉県の南端に位置し、荒川を隔てて東京に接しており、また県内では戸田・蕨・越谷・草加・さいたまの各市に接する。また、市の大部分が都心から10~20km圏内に含まれる。江戸時代から鋳物や植木などの産業が発展。その後、東京と隣接しているという利便性を活かし、住宅都市として発展した。
同市の総面積は61.95平方キロメートル。埼玉県で4番目に広い自治体である。
埼玉県・川口市のマンション
2018年、埼玉県・川口市で販売された新築マンションは845戸。同市で販売した新築マンションの相場価格は3528万円~6274万円だった。同市内の中古マンション相場価格は1610万円~6020万円。
2019年1月現在、埼玉県川口市の人口は、川口市の発表によると60万3838人。そのうち外国人は3万5988人。総世帯数は28万5043世帯だ。全国の市制自治体として政令指定都市を除くと、千葉県船橋市(約62.7万人)、鹿児島県鹿児島市(約59.9万人)に次ぐ全国3位となる。埼玉県内では、さいたま市(政令指定都市)に次ぐ2位である。
なお、外国人の住民は、埼玉県の自治体で最高。国籍別では中国人がおよそ1.76万人、6割弱を占めもっとも多く、韓国・朝鮮人、ベトナム人、トルコ人が続く。
中核市移行を目指す住宅都市
埼玉県川口市は1933年(昭和8年)4月1日に、川口町・横曽根村・南平柳村・青木村の1町3村が合併して誕生した。その後、1940年(昭和15年)に、芝村・神根村・新郷村の3村、1956年(昭和31年)に安行村、1962年(昭和37年)に美園村の一部であった戸塚、そして2011年(平成23年)10月11日に鳩ヶ谷市と合併し、現在の川口市となった。川口市は2018年(平成30年)4月に、中核市移行を目指して、さまざまな活動を強化している。
「日光御成道」の宿場町として栄え、伝統の鋳物産業を抱えた街
古くは徳川将軍参詣の社参行列がとおった「日光御成道(にっこうおなりみち)」の宿場町として栄えた川口市は、伝統の鋳物をはじめとする幅広い産業を抱えた街だ。明治末期には鋳物工場が150軒ほどになり、荒川や芝川の舟運を利用して原料や製品運搬が行なわれた。
その後、川口町駅や新荒川大橋ができると鋳物産業を中心に爆発的発展をとげ、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』(1962年・日活/浦山桐郎監督)で、「鋳物の街・川口」の名は全国に知られるようになった。タイトルの“キューポラ”とは「鉄の直立溶解炉」を指す。
映画は、主人公(吉永小百合)の周りで起こる貧困や親子問題、民族、友情、性など多くのエピソードを描いた、川口市を舞台にした青春映画である。
ちなみに、1964年の東京オリンピックの聖火台は川口の鋳物で作られた。2020年の東京五輪でも聖火台はそのまま使われる予定だ。
キューポラの街から住宅都市へと変貌
興隆を誇った鋳物産業だが、大半が従業員30人未満の零細企業で下請けが多く、不況に弱いという側面をも持っていた。1960年代以降、東京都に近いため急速に都市化が進み、川口駅周辺にあった中小工場は計画的に移転。
跡地に高層マンションが建ち並んだ。また、駅西口にあった旧工業技術院公害資源研究所は、つくば市に移転し、産業技術総合研究所の一部門となった。
鋳物工場の跡地の多くは、その後集合住宅をはじめとする中高層の建築物が建てられており、街の風景は大きな変容を見せている。
同市西部をJR京浜東北線が縦断、北部をJR武蔵野線が横断するが、共に市域の外周部近くに位置するため、同市中央部と東部が鉄道空白地帯だった。
2001年に、市域中央部を埼玉高速鉄道線が南北に開通したことで、それも解消。2008年に開業した日暮里・舎人ライナーにより、東部地域では見沼代親水公園駅なども利用可能となった。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)