埼玉県桶川市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
かつて、近郊農村からの農産物集積地は、学術住宅都市へ
埼玉県桶川市は、東西約8km、南北約4km。埼玉県の中央に位置し、東は元荒川をへだて、久喜市および蓮田市に、西は荒川を境に川島町に、南は上尾市および伊奈町に、北は鴻巣市および北本市に隣接する。
日本列島のほぼ中央にある桶川市の位置は、市役所を基準点とすると、北緯36度00分10秒/東経139度33分30秒にある。
埼玉県・桶川市のマンション
2018年、埼玉県・桶川市で販売された中古マンション相場価格は1400万円~2590万円だった。
2019年1月現在、埼玉県桶川市の人口は、同市の発表によると7万5408人。総世帯数は3万2554世帯だった。桶川市は市域面積が25.35平方キロメートルである。
中山道の宿場「桶川宿」、農産物の集積地として繁栄した
桶川市域は、江戸から10里、近隣からの農産物の集散地という地の利を得て、人々が自然に集まり、中山道の宿場町として栄えた。
戦後の1955年(昭和30年)に桶川町・加納村・川田谷村の合併が実施され桶川町として、ほぼ現在の姿が完成した。
宿場町として発展の基礎ができあがった桶川の街は、明治以降、麦、さつまいも、べに花などの農産物集散地として栄えた近郊農業の町だった。
現在でも、中山道沿いには宿場町だった当時の面影を残す街並みが見られる。宿場で繁盛したであろう堂々たる蔵造りの店が現在でも残っている。
1883年(明治16年)、中山道に沿う形で高崎線が敷設され、1885年(明治18年)、桶川駅が開設される。
日本初の女性農学博士「辻村みちよ」を輩出した学術都市
農産地らしい逸話として桶川に残る歴史のひとつとして、日本初の女性農学博士「辻村みちよ」の出身地として知られる。1888年(明治21年)、足立郡桶川宿(桶川市)で生まれた辻村みちよは、教員を経て、女子教育最高峰の東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)を卒業後、北海道帝国大学(現在の北海道大学)の農芸化学科食品研究室の無給副手(助手)として研究に携わる。その後、東京帝国大学医化学教室を経て、理化学研究所で鈴木梅太郎博士に師事し、1924年(大正13年)に、緑茶に多量のビタミンCが含まれることを発表。また、1929年(昭和4年)に、緑茶中のティカテキンを世界で初めて発見した「お茶の博士」である。
桶川市と日本薬科大学(学校法人都築学園)とは、2016年(平成28年)5月29日に、地域社会の形成、発展及び人材育成に寄与することを目的とした相互連携協定を締結している学術都市でもある。
桶川市内には、かつての日本軍の熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡が残されている。この飛行学校は、1937年(昭和12年)6月の設置から1945年(昭和20年)2月の閉鎖までの間、少年飛行兵や学徒出陣の特別操縦見習い士官など、延べ1500~1600人の航空兵の教育が行なわれていた。
その後、戦争末期には、特別攻撃隊の訓練場となり、1945年(昭和20年)4月には特攻隊員12人を鹿児島県の知覧特攻基地へ送り出した。
戦後は、海外からの引揚者等のための寮(通称:若宮寮)となり、昭和31年頃には64世帯/300人程度が暮らしていた。平成19年3月に最後の入居者が転出した。現在、同市では、学校跡を市指定の有形文化財とし、「市指定文化財旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場建物保存活用計画」を策定、保存に乗り出している。現在、公開はされていない。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)