埼玉県さいたま市緑区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
埼玉高速鉄道線の開通で、充実した住宅都市として人口増、発展する
埼玉県さいたま市緑区は同市の南東部に位置し、台地と低地からなる。1889年(明治22年)、町村制の施行で現在の緑区エリアに谷田、尾間木、三室、野田、大門の5つの村ができた。1973年(昭和48年)、JR武蔵野線の開業。同区の区画整理、大牧三室線、国道463号線の整備などで都市化が進み、東浦和駅周辺や三室地区を中心に宅地化が進んだ。区内に東北自動車浦和インターがあり、東北の玄関口となっている。
埼玉県・さいたま市緑区のマンション
2018年、埼玉県・さいたま市緑区で販売された新築マンションは無かった。同区で販売した新築マンション相場価格は3356万円~3741万円だった。同区内の中古マンション相場価格は1890万円~4270万円。
2019年1月現在、さいたま市緑区の人口は、さいたま市の発表によると12万5294人。総世帯数は5万2954世帯だ。同区の人口は、後述する計画人口3万人の「みそのウィングシティ」などの開発で漸増している。さいたま市の構想では、2021年ごろに、同区の人口は14万人を超えるとされる。
同区の総面積は26.51平方キロメートル。さいたま市10区で4番目に広い区である。
政令指定都市移行に伴い旧浦和市が緑区を含む4つの区に
見沼溜井から見沼干拓という大土木事業が鎌倉時代から実施され農地として発展。その後、見沼通船事業が開始。遺跡見沼通船堀は、パナマ運河と同じ閘門式運河として知られる。当時の奥州街道は中世には鎌倉街道となっていたが、江戸時代には日光御成道となり、大門に宿場が置かれた。幕府直轄地や岩槻藩領、旗本支配地などが区域内にあった。
冒頭で触れたように、1889年(明治22年)、全国町村制の施行で谷田、尾間木、三室、野田、大門の5カ村ができた。浦和越谷間乗合馬車、武州鉄道ができ、その後、それらの5カ村が浦和町、浦和市に合併していく。
2001年(平成13年)5月に、旧浦和市は旧大宮市などと合併してさいたま市が誕生。2003年(平成15年)、さいたま市は政令指定都市となり、旧浦和市域は4つの行政区となり緑区が誕生した。
埼玉高速鉄道線の開通、「みそのウィングシティ」が区の発展を後押し
また、2001年(平成13年)に地下鉄埼玉高速鉄道線が開通し、その先に、アジア最大級と言われる、埼玉スタジアム2002がある。そこでは、2002年(平成14年)にFIFAサッカーワールドカップ大会4試合が開催された。2006年(平成18年)、「みそのウィングシティ」が街開きし、イオンモール浦和美園がオープンした。同区の人口増に大きく影響を与えている。現在、緑豊かな落ち着いた住宅地として発展している。
同区内には綾瀬川、芝川、見沼代用水東縁・西縁などが流れ、その四季折々の豊かな表情が人々を楽しませている。なかでも、見沼代用水西縁・東縁はサクラの名所で、お花見スポットとして親しまれる
また、江戸時代から続く植木・苗木・花木産業が盛んに行なわれ、良好な住宅地や都市型生活機能、緑豊かな自然環境が調和した首都圏でも貴重な地区だ。公園、福祉、文化、スポーツ、環境の施設も次々に整備され風格のある都市となってきた。
全国の緑区
余談だが、「緑区」という名称は全国で5つの政令指定都市、名古屋市・横浜市・千葉市・さいたま市・相模原市に存在する。これら5つの政令指定都市は、大都市にあって比較的多くの自然が残るとともに、新しい街づくりが進められ、人口も年々増加しているという共通点を持っている。そこで5つの行政区が、全国規模で交流と連携を深め、共通するさまざまな課題に取り組み、活気に満ちた地域社会を築くことを目的に、「元気な緑区大集合/全国緑区フォーラム」を創設している。
なお、全国でもっとも歴史ある緑区が1963年に誕生した名古屋市。もっとも新しい緑区は2003に生まれた政令指定都市・相模原市である。
さらに余談だが、全国の自治体で「みどり市」は、ひとつだけ。2006年に誕生した群馬県みどり市である。ただし、全国の「緑町」(ミドリマチ/ミドリチョウ)は際限なくある。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)