埼玉県上尾市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
田園都市から工業都市、そして住宅都市へと変貌を遂げる「あげお」
埼玉県上尾市は、東京都心から35kmの距離にあり、埼玉県の南東部に位置する。東は伊奈町と蓮田市に、南はさいたま市に、西は川越市と川島町に、北は桶川市と隣接する。
1955年(昭和30年)1月、上尾町、平方町、原市町、大石村、上平村、大谷村の3町3カ村が合併して上尾町となり、3年後の1958年(昭和33年)7月の市制施行し、上尾市が誕生した。当時、人口は約3万7000人だったが、地理的条件の良さに加え、政府による高度経済成長政策も加わり、田園都市から工業都市、そして住宅都市へと変貌を遂げた。
埼玉県・深谷市のマンション
2018年、埼玉県・上尾市で販売された新築マンションは244戸。中古マンション相場価格は1890万円~3430万円だった。
2019年1月現在、埼玉県上尾市の人口は、同市の発表によると22万8519人。そのうち外国人は3496人だ。総世帯数は10万839世帯だった。現在、市域総面積は45.51平方キロメートルだ。
江戸時代の中山道整備で賑わった「上尾宿」を基盤に発展した田園都市
上尾市内に残る400カ所以上の遺跡から約2万年前の旧石器時代、すでに集落があったことが分かる。畔吉の殿山遺跡からは、関東地方では珍しい「国府型(こうがた)」のナイフ形石器などが出土している。
約1万2000年前の縄文時代の遺跡から、当時の上尾周辺には海があったされている。その後の古墳時代の遺跡も数多く残っている。
江戸時代、五街道が整備によって、上尾は中山道にある69の宿場町の5番目の宿として、平方は荒川舟運の要衝として、原市は市場町として発展する。
鉄道開業で近代産業が発展、工業住宅都市としての基盤ができる
1883年(明治16年)、高崎線開通と同時に上尾駅が設置され中山道とともに市街地形成の基礎がつくられた。明治末期には当時の先端工業として製糸工場が建てられ、昭和に入ると機械・金物・食品工場が立地、工業都市としての基板ができた。
江戸時代、上尾市域に45あった宿・村は、明治初期に40集約され、その後6区域の町村になり、昭和30年3回目の合併により、冒頭で記したように新・上尾町となり、1958年に県内19番目の市となった。昭和40年代には住宅難に対応して4団地(原市団地・尾山台団地・西上尾第一団地・西上尾第二団地)が相次いで建設された。
1970年(昭和45年)に人口10万人を突破、2018年(平成30年)に市制施行60周年を迎えた。
上尾市域は基本的な産業は江戸時代から続く農業がメインで、稲作のほか各種野菜の栽培がなされていた。市域における農地は減少傾向にあるが、都市近郊農業としてキュウリやトマト、ほうれんそうなどの多彩な野菜を出荷している。
工業では輸送用機器の製造がさかんであり、UDトラックス(旧・日産ディーゼル)の本社&工場をはじめ、ブリヂストンサイクルの本社&工場、アイチコーポレーションなど自動車機器関連の工場のほか、三井金属鉱業の工場&研究所などが多数立地する。また、市北西部の上尾道路に沿って造成された上尾領家工業団地にも多数の工場がある。
鉄道交通網は充実している。JR東北・上越新幹線、高崎線、東北本線、埼玉新都市交通線(ニューシャトル)が南北に走り、東京都心へのアクセスは便利だ。
高崎線と並行する国道17号線は交通量が多く、物流の主要幹線としての役割を担う。
市の中心市街地となるのは上尾駅周辺で、公共施設や大型商業施設が密集し、高層マンションなども建設されている。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)