埼玉県坂戸市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
1970年代半ば以降、ベッドタウンに成長した日光脇往還道の宿場「坂戸宿」
埼玉県坂戸市(さかどし)は、埼玉県のほぼ中央に位置し、地勢はおおむね平坦であり、秩父山系から清流として知られる高麗川(こまがわ)が南西から東へ流れる。1976年(昭和51年)9月、埼玉県で39番目、全国で644番目の市として坂戸市が誕生した。市制施行時に5万5000人だった人口は、都市化とともに増加し、2006年(平成18年)10月に、10万人都市の仲間入りを果たした。
埼玉県・坂戸市のマンション
2018年、埼玉県・坂戸市で販売された新築マンションは14戸だった。同年、同市内の中古マンション相場価格は1610万円~2730万円だった。
2019年1月現在、坂戸市の人口は、同市の発表によると10万1226人。総世帯数は4万5781世帯だった。
坂戸は、昔から交通の要衝として発展し、江戸時代には八王子から日光に至る街道(日光脇往還)の宿場町「坂戸宿」として繁栄していた。八王子千人同心が日光勤番に赴く際の最初の宿泊地であった。
かつての首都近郊の農村は、市制施行以降にベッドタウンとして発展
その後、肥沃な土地を活かした農業が盛んとなり、1889年(明治22年)4月、全国市町村制施行に伴い、入間郡坂戸村・浅羽村・片柳新田・片柳村・上吉田村・栗生田村・関間新田が合併し、坂戸村となる。1896年(明治29年)12月、町制を施行により坂戸町となる。
1954年(昭和29年)7月に、坂戸町、三芳野村、勝呂村、入西村、大家村の5町村が合併して新生坂戸町となり、この後、人口は安定的に推移し、農業と中心とした近郊農業の町として順調な発展を遂げた。
1960年代に、都心から45km圏という利便性から、大規模な住宅団地などの相次ぐ開発が行なわれ、人口が急増。昭和50年から昭和55年まで人口の伸びが全国一を示すベッドタウンとなった。
冒頭で記したように、1976年(昭和51年)9月に市制施行した。
諸説ある「さかど」の名称由来
「さかど」の地名の由来について、古くから伝えられているのは源義家の家臣の坂戸判官教明が居住し、その名が地名となったというものだ。が、教明が坂戸に住んでいたという証拠は、見つかっていない。
また、集落の境の場所、という意味であるとか、坂を降りた入口という意味であるという説もある。
最近では、古代豪族物部氏ゆかりの地名ではないかとする説も現れている。これは、近畿地方にある「さかど」「さかと」と読む地名が物部氏ゆかりの地にあり、同市周辺も古代には物部氏の勢力下にあったらしいことから主張された説である。
このように、「さかど」の起こりについては、はっきりとわかっていないのが現状だ。
関越自動車道と首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が走り、最寄りのインターチェンジは鶴ヶ島ICとなる。2013年に坂戸西スマートインターチェンジが開設となり、クルマでの移動は格段に便利になった。
鉄道は東武東上線と東武越生線(おごせせん)の結節点が坂戸駅となっている。
坂戸市では、2017年度から第6次総合振興計画に基づき「参加と協働」「健康と安心」「環境 との共生」を基本理念とし、「笑顔でつなぐ躍動のまち、さかど」を市の目指す将来都市像として、街づくりを推進している。地方創生への動きを的確に捉え、将来にわたって 持続可能な活力ある街づくりの積極的な推進を推し進めている。2017年から2021年度を目標年度とし、後期基本計画を遂行中である。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)