埼玉県吉川市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
「吉川ネギ」「花しょうぶ」「なまず」の里は、住宅都市として発展
埼玉県吉川市は、同県の南東部に位置し、ほぼ平坦な地形となっている。東は江戸川を境にして千葉県野田市と同流山市に接し、西は中川を挟んで埼玉県越谷市、同草加市、南は同三郷市、そして北は同松伏町と、それぞれ接する。総面積は31.66平方キロメートルだ。
埼玉県・吉川市のマンション
2018年、埼玉県・吉川市で販売された新築マンションは不明。同市内の中古マンション相場価格は1680万円~3220万円だった。
2019年1月現在、埼玉県吉川市の人口は、同市の発表によると7万2891人。総世帯数は3万98世帯だ。
1996年に市制施行・誕生した若い街
1955年(昭和30年)、旧吉川町、旭村、三輪野江村の3カ村が合併して新吉川町となり、その後、1973年(昭和48年)の国鉄(現JR)武蔵野線の開通と吉川団地の建設を経て1991年(平成3年)に人口5万人を突破し、1996年(平成8年)4月に市制を施行、埼玉県「吉川市」が誕生した。
自治体名の「吉川」は、吉河とも書き、古くは吉川郷風早庄二郷半領に属し、「吾妻鏡」に載る武蔵武士「吉川三郎」の在所とも伝わる。
吉川の名義は芦川の意で、昔この付近の低湿地を流れる河川にアシが多く生えていたためである。芦の訓読はアシであるから悪(アシ)と聞こえるため、芦をヨシともいい、「芦」に当てるに「吉」の文字を持ってしたものとされる。
かつて当地は下総国に属し、その後、武蔵国に属した。明治に武蔵知県事に属し、1871年(明治4年)に埼玉県の管轄となった。
川魚料理の伝統が根付くまち「なまずの里・吉川」
吉川市市域では、旧くから中川・江戸川というふたつの川に挟まれた地形をいかした文化が育まれ、川魚料理という食文化が生まれ根付いた。
江戸時代初期には、河岸付近に川魚料理を売り物にした料亭が軒を連ね、集まる人々の舌を楽しませたとされる。とくに川魚料理は「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」といわれるほどだったとされる。
近年、市内でなまずの養殖が行なわれ、数々の「なまずグッズ」も生み出され、「なまず」に因んだ事業が盛んだ。
かねてより、それぞれの河川は住民にとって食材の宝庫として大切な存在だった。川魚漁や川で遊ぶ子どもたちの姿が日常的に見られたエリアでもあった。家庭では、なまずの身を包丁でたたき、みそなどを練り込み、丸めて揚げた「なまずのたたき」などが郷土料理として親しまれてきた。この川に親しんできた歴史・文化が、吉川が「なまずの里」といわれる所以なのだ。
一方で農業も吉川市の重要な産業
同市は農業も盛んで、吉川市から出荷される農産物出荷量第1位の「吉川ネギ」が有名。巻きがしっかりしていて、煮崩れしないとして料理店に人気のネギだという。
また、市内の栽培農家から端午の節句に合わせ、つぼみのままビニールハウスから刈り取られ出荷される「花しょうぶ」も人気の農産品だ。大正末期、伊豆のしょうぶ園を参考に、三輪野江地区の豊かな湧水を利用して始められた。代表的な品種は「初霜」。刃先がピンと張った剣状の葉と純白の美しい大輪の花が特徴だという。
JR武蔵野線「吉川美南駅」の開業で住宅都市として活性化が進む
鉄道交通は同市南部をとおるJR武蔵野線の吉川駅、吉川美南駅が市内にあるが、市北部ではバスを利用して東武伊勢崎線・北越谷駅などにアクセス、江戸川を渡って東武野田線・野田市駅や梅郷駅に出たほうが便利なエリアもある。
なお、2012年に開業した市内で2番目の鉄道駅「吉河美南駅(よしかわみなみ)」の効果は、鉄道利用に際する利便性の向だけでなく、吉川駅周辺の交通渋滞の緩和や新たな市街地の形成に伴う経済・産業活動の場の構築などが進んだ。
また、吉川美南駅に折り返し線施設が設けられたことにより、強風や豪雨などの緊急時に折り返し運転が可能となり、武蔵野線の輸送障害発生が改善されたという。
吉川市は越谷市、草加市、三郷市、八潮市、松伏町とともに公共施設の相互利用、図書館広域利用などを行なう「埼玉県東南部都市連絡調整会議」を結んでいる。この会議は政令指定都市移行を目標とした合併に関する協議も行なっているもよう。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)