東京都小平市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
昭和初期からベッドタウンとして発展した住宅都市、学園都市「こだいら」
小平市域は東京多摩地域の武蔵野台地上にあり、都心からは26kmに位置する。かつて、このあたりは水が乏しく、人が生活するには適さない場所だった。が、羽村から江戸まで多摩川の水を運ぶ玉川上水が1654年(承応3年)に開通。ほぼ同時期に青梅街道も整備され、それがきっかけで開拓の条件が整った。玉川上水から用水を引き、生活用水とすることで、江戸の近郊農村として開発が進んだ。
東京都・小平市のマンション
2018年、東京都・小平市で販売された新築マンションは51戸であり、同市で販売した新築マンション相場価格は4220万円~4548万円だった。同市内の中古マンション相場価格は2450万円~4410万円。
小平市の2019年1月現在の人口は、19万3596人。総世帯数は9万1602世帯だ。小平市の総面積は20.51平方キロメートル。
1889年(明治22年)に7つの村が合併して、神奈川県北多摩郡小平村が誕生。その後、多摩地域は1893年(明治26年)に東京府に編入する。市内に初めて鉄道が通ったのは明治時代の川越鉄道(現在の西武鉄道国分寺線)で、府中街道に近い小川駅が開設された。その後、西武鉄道新宿線および拝島線が市を東西方向に結んだ。
道路網は都心へ向かう青梅街道、五日市街道、また南北方向には小金井街道、府中街道が走る。
昭和初期から、ベッドタウンとして発展、戦後に工場進出も相次ぐ
昭和の初めには、西武新宿線、西武多摩湖線がそれぞれ開業。現在、鉄道駅は、西武新宿線の「小平駅」「花小金井駅」、西武国分寺線の「鷹の台駅」「小川駅」、西武多摩湖線の「青梅街道駅」「一橋学園駅」、JR武蔵野線「新小平駅」の3路線7駅があります。
鉄道網の発達とともに学園地域の宅地分譲が進み、次第に人口が増え、1944年(昭和19年)に小平町となった。
戦後、都心部のベッドタウンとして、またブリヂストンや日立製作所などの工場の進出もあって、人口が急激に増加し、1962年(昭和37年)に市制を施行した。1973年(昭和48年)には、武蔵野線(JR)が開通、急激な都市化が進展する。
大正末期から進めた学園都市構想
小平市は6校の大学を有する学園都市でもある。大正末期、小平に学園都市構想が持ち上がり、昭和のはじめに現在の津田塾大学、一橋大学小平キャンパスが移転してきた。
戦後になると白梅学園短期大学、武蔵野美術大学、嘉悦女子短期大学、文化女子大学(現:文化学園大学)と大学の進出が相次ぎ、現在では6つの大学で1万人を超える学生が学んでいる。
小平市と各大学は、情報を交換しながら、共催のイベントや公開講座などを通して、地域に密着した交流を進めている。6つの大学は個性豊かな存在。各分野で多くの卒業生が活躍している。
また、市内には1948年(昭和23年)に開園した、都立小平霊園がある。西武新宿線「小平駅」から、堂々としたケヤキ並木の表参道が正門まで続く。荘重な趣の伝統的な墓地と緑の芝に覆われた高遠でもある。新しい形の合葬式墓地などが広々とした墓域に配置され、周囲を樹林帯が囲む。総面積のうち約半分が墓所で、樹林や草地、並木道が広がり。北側には武蔵野の面影をとどめる雑木林がある。面積は約65ヘクタール。
懐かしき赤い丸形郵便ポストのまち
小平市内には、昔懐かしい丸型ポストがたくさんある。そのため「丸いポストのまち」宣言をする。実は都内の自治体中で1位の37本も保有。ちなみに23区内はたったの5本だけで、小平市は都内で圧倒的に丸型ポストが多い。時代とともに丸型ポストが減少するなかで、「かわいい」「ノスタルジック」「丸型ポストを残してほしい」という声も数多く聞かれるという。
北海道留萌郡小平町(おびらちょう)と東京都小平市は1978年(昭和53年)小平町の開基100年記念の年に、漢字で同名の自治体ということで、相互に教育文化産業など、広く交流を図り、友好と理解を深め、相携えて発展することを念願して、姉妹都市の締結をした。翌1979年からは、国際児童年を記念して、少年少女交歓交流事業を毎年交互に継続実施している。また、小平市と小平市民がオーナーとなって小平町の国有林を活用して、分収造林による「ふれあいの森林」を造成するなど、事業の展開と相互交流を進めている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)