埼玉県さいたま市見沼区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
旧大宮市東部地区、都会的環境と自然環境が共存する行政区
さいたま市見沼区は、2001年に大宮市、浦和市、与野市の合併で誕生したさいたま市の行政区10区のひとつで、2003年の政令指定都市移行を機に旧大宮市東部を区域として誕生した。
さいたま市の北部中央寄りに位置し、区役所周辺には大宮武道館、大宮東図書館などがあり、区域の北側にはアーバンみらい東大宮を中心とした市街地が形成され、高層住宅群をはじめ計画的に形成された市街地が広がり、南側には見沼田圃の斜面林や豊かな自然が多く残され、都会的な生活環境と自然の魅力が共存している。
埼玉県・さいたま市見沼区のマンション
2018年、埼玉県・さいたま市見沼区で販売された新築マンションは不明。同区内の中古マンション相場価格は、1540万円~2940万円だった。
2019年1月現在、さいたま市見沼区の人口は、さいたま市の発表によると16万2842人。総世帯数は7万2910世帯だ。同区の総面積は30.69平方キロメートル。さいたま市10区で2番目に広い自治区である。また、人口も10区中で南区に次ぐ2番目の規模となっている。
徳川8代将軍・吉宗の命で干拓、見沼代用水路建設、それを機に発展
見沼区は、大砂土東地区、春岡地区、七里地区及び片柳地区で構成されている。この台地は西の芝川と東の深作川・綾瀬川に囲まれ、豊かな緑と水に恵まれ、見沼田んぼに代表されるように古くから農業が営まれたエリアでもある。
江戸時代初期に沼だった箇所が八丁堤で堰き止められ、灌漑用のため池として利用されていました。1728年(享保13年)に、徳川幕府8代将軍吉宗の命により新田開発を実施。干拓された土地に、利根川から見沼代用水路が引かれた。この時代、区域一帯は武蔵国足立郡南部領に属していた。1879年(明治12年)に郡区町村編制で北足立郡に。
1929年(昭和4年)に北総鉄道(現在の東武野田線/東武アーバンパークライン)の粕壁駅(現在に春日部駅)から大宮まで開通。大和田駅と七里駅が開業した。
見沼区東部の深作沼周辺は広大な湿地帯だったが、沼の大半が埋め立てられ住宅地が建設された。1960年代、大字大谷に大谷県営住宅(現在の大宮七里住宅団地)が造成されたのを機に、近隣に東宮下住宅団地などの県営住宅の建設が相次ぎ、人口が増加した。
土地区画整理事業などによる都市基盤整備が
同区では、道路や下水道などの都市基盤の整備の遅れや、無計画なミニ開発によるスプロール現象、宅地の細分化などが指摘されてきた。近年、第二産業道路などの幹線道路や、土地区画整理事業による基盤整備が進み市街化が進んでいる。地域の歴史と自然環境・社会環境との調和のとれた街並みができつつある。
現在、区の中央を東部の打線が東西に、北西部にはJR宇都宮線が走っており、いずれも大宮駅に繋がっている。また、幹線道路の第二産業道路が南北に、さいたま春日部線が東西に延び、東北道岩槻インターも近い。しかしながら、広い区域であるにもかかわらず、道路ならびに公共交通機関は十分とはいえない。
また同区は、市の無形民俗文化財に指定されている「深作ささら獅子舞」や「砂の万灯」など歴史ある伝統文化を伝えるエリアだ。「深作ささら獅子舞」は、竹製の摺りザサラと笛の音に合わせて、大中小の3頭の獅子が舞うもので、毎年8月に深作氷川神社で行なわれている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)