埼玉県羽生市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
江戸時代からの藍染めの街、明治に開業した鉄道網を基板に発展する
埼玉県羽生市は、関東地方のほぼ中央、埼玉県の北東部に位置し、都心から60km圏にあり、さいたま市(浦和区)から40kmの距離にある。東と南は加須市、西は行田市、北は利根川を隔てて群馬県に隣接している。
市域は東西10.25km、南北6.71km、面積58.64平方キロメートルである。
埼玉県・羽生市のマンション
2018年、埼玉県・羽生市で販売された中古マンション相場価格は1260万円だった。
2019年1月現在、埼玉県羽生市の人口は、同市の発表によると5万5112人。総世帯数は2万2982世帯だ。
1903年(明治36年)4月、東武鉄道伊勢崎線羽生駅が開業。1921年(大正10年)には秩父鉄道羽生駅が開設された。これが現在に至る同市鉄道網の基盤となる。
いち早く開通した鉄道交通網とともに発展した街
羽生市は、1954年(昭和29年)、北埼玉郡羽生町、新郷村、須影村、岩瀬村、川俣村、井泉村、手子林村が合併して、羽生市として市制施行し誕生した。
羽生市の主な鉄道交通網として東武伊勢崎線、秩父鉄道が走り、羽生市の玄関口である「羽生駅」は、ステンドグラスがデザインされた大きなアーチが特徴の駅舎だ。東武鉄道伊勢崎線と、秩父鉄道の秩父本線が乗り入れており、接続駅となっている。
幹線道路網として東北自動車道、国道122号、国道125号とそのバイパスが縦横に走る。東北道には羽生インターチェンジが設けられている。
市の中心部は、商工業の市街地となっており衣料の町として発展し、周囲は農業地帯で肥沃な田園地帯である。
江戸時代から連綿と続く自然発酵による“藍染め”の街
羽生は江戸時代から続く“藍染め”の街だ。発端は、農家の主婦が農閑期を利用して、家族の衣服をつくったのが始まりといわれ、明治40年代の最盛期には武州(羽生、加須、行田、騎西)の一大産業となった。
武州の正藍染めは、藍の葉から自然発酵から生まれた染料により染めるのが特徴だ。手染めなので微妙な風合いがあり、さめるほどに美しい色合いになっていくとされている。
羽生市および加須市・行田市で生産された武州地域に由来する正藍染めを施した織物、その織物を用いて生産されたハンカチ、のれん、テーブルクロス、ジャケット、ワイシャツ類などが、2008年(平成20年)9月19日に特許庁の「地域団体商標」に登録された。これにより全国や世界に向けて「武州正藍染」を発信している。羽生衣料縫製協同組合では、羽生の伝統工芸である藍染めなどの天然素材を生かしたオリジナルブランド「卯三郎」を新たに開発・発信している。
近代日本文学で自然主義派とされる田山花袋の小説「田舎教師」の舞台となった街が羽生だ。
作品は冒頭の「四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった」で始まる。明治時代、羽生市を舞台に生き、21歳の若さでこの世を去ったひとりの青年、小林秀三をモデルに描かれた作品だ。花袋は、残された秀三の日記をもとに、大志を抱きながらも、田舎に埋もれていく青年の苦悩を描いた。その「田舎教師の墓」は、羽生駅から徒歩5分ほどの羽生市南・建福寺内にある。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)