埼玉県北本市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
市域全体の6割が緑地として残る、東京近郊のベッドタウン、田園都市
埼玉県北本市は、県中央部に位置し、大宮台地上のほぼ平坦な地形となっており、武蔵野の雑木林など、魅力ある豊かな自然が残る街だ。市の中央部を国道17号やJR高崎線が縦断し、これに沿って市街地を形成する。その外縁部に緑豊かな田園地帯が広がり、西に荒川が流れている。北は鴻巣市、東南は桶川市、西は川島町・吉見町に隣接する。
昭和30年代に、人口1万人台の自治体だったが、東京都心から45km圏内にある好立地を活かし、約6万7千人規模のベッドタウンに成長した。
1971年(昭和46年)11月、市制施行により、埼玉県内33番目の市として誕生した。
埼玉県・北本市のマンション
2018年、埼玉県・北本市で販売された中古マンション相場価格は1960万円~2170万円だった。
2019年1月現在、埼玉県北本市の人口は、同市の発表によると6万6668人。総世帯数は2万9074世帯だった。同市総面積は19.82平方キロメートルである。
武家社会の到来で「宿場町」、交通の要衝として発展した街
北本市域には鎌倉時代、石戸氏の館と思われる堀ノ内館が構えられた。大宮館跡からは中国製の高価な青磁が出土し、相応に栄えていたことが分かる。戦国時代、石戸城が築かれ、上杉氏と北条氏の攻防の前線基地となったとされる。
江戸時代、中山道の宿場が鴻巣へ移転。「本宿」という地名はその名残である。 2カ所に立場が設けられ、街道を行き交う人々で賑わいを見せた。
荒川には3カ所の河岸場が設けられ、物資や文化が行き交う交通の要衝となった。
1989年(明治22年)まで同市域は14の村に分かれていた。その村名のひとつに、「本宿村」があった。ところが、同じ北足立郡のなかに本宿村という村名が2カ所(現在の北本市とさいたま市)あり、不都合が生じることが多く、北にある本宿村を「北本宿村」と改称した。
この「北本宿」が、1928年(昭和3年)に開設された駅の名前として使われることになり、1943年(昭和18年)に石戸村と中丸村が合併し、村名をこの駅名からとった。その後、1959年(昭和34年)に町制を施行、「北本宿町」では「語呂が長く呼びにくいので、宿をなくして北本町にした」とされる。つまり、北本という呼び名は、比較的新しい地名といえる。
住宅街と緑豊かな自然がバランス良く調和する田園都市
現在、市の中心部はJR北本駅周辺で、駅の1日平均乗客数は、約2万人だ。
土地の利用は、宅地の割合が40%ともっとも多く、田・畑・山林原野などを合わせた緑地も同程度残る。スポーツ場や公園などの雑種地、その他の寺社の境内や保安林、道路までを含めると約 60%の緑地が残る自然環境に恵まれたエリアだ。宅地と緑豊かな土地がバランス良く調和した北本市は、住みよい環境といえる。
北本駅と桶川駅の間の二ツ家地区(圏央道予定区間の交点付近)に、新駅を設置する計画があったが、財政負担が大きいことから計画の是非を市民に問う住民投票を2013年に実施。その結果、反対票が賛成票を大幅に上回ったため、市は計画を撤回し、JR東日本への要望書提出を中止することとなった。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)