埼玉県八潮市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
つくばエクスプレスの開業で、市中心街が移動しつつある住宅都市
埼玉県八潮市は、埼玉県の東南端、東京都心から北東15kmに位置し、東は三郷市、南は東京足立区・葛飾区、西と北は草加市に接する。東西が5.23km、南北が7.45kmの花瓶形をした地形となっている。
市内には、中川・綾瀬川・垳川・大場川・伝右川の一級河川が流れ、北足立台地と野田台地にはさまれた中川低地の南端に位置する。同市の総面積は18.02平方キロメートルである。
埼玉県・八潮市のマンション
2018年、埼玉県・八潮市で販売された新築マンションは84戸で、新築マンション相場価格は3546万円~4337万円。同年、同市内の中古マンション相場価格は1820万円~3500万円だった。
2019年1月現在、八潮市の人口は、同市の発表によると9万876人。総世帯数は4万2487世帯だった。
八潮市域は、6000年前頃までは奥東京湾と呼ばれる遠浅の海だったが、関東平野の隆起や河川が運んできた土砂の堆積などで2000年前頃までには陸地となり、河川沿いには自然堤防と呼ばれる高地が形成されたとされる。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて市域は、伊勢神宮の所領である大河戸御厨内八條郷に属していた。
江戸時代、幕府の新田開発政策によって豊かな耕作地として発達
延文6年(1361年)の「市場之祭文」に残された記録によると、定期市の立つ武蔵国内三十三の市場のひとつに「八十市」(八條)と記されており、舟運を利用した交易の一拠点であったことが推測できる。
また、戦乱の世情不安などから、人々は神仏の加護を求め、この時代市域には多くの寺院が建立され、優れた仏教美術や板碑(青石塔婆)などの石造物も遺されている。
江戸時代になると、八潮市域はおよそ20カ村に分かれていたが、幕府の新田開発政策のもと、八潮市周辺でも綾瀬川の直道化や人工堤防の構築、八條用水や葛西用水の開削がなされ、豊かな耕作地となっていった。
この時代、物資輸送の中心は安全かつ大量に物を運べた水運が中心であり、市域にも綾瀬川や中川の川岸には、荷物の積み下ろしをする「河岸」が設けられ、荷物を積んだ川船が行き交い、賑わったという。
八潮市には八条用水や葛西用水をはじめとした、水路が数多く残されている。これらは古くから農業用水として用いられてきた。小規模な水路については、現在では暗渠となり道路化が進んでいる。
高度成長期の人口増加、つくばエクスプレスの開業で活気づく街
明治時代に入り、1884年(明治17年)に連合戸長役場が設けられ、その後、1889年(明治22年) に全国で市制・町村制が施行され、伊勢野村連合は潮止村になり、八幡村、松之木村連合が誕生した。
戦後の1953年(昭和28年)に町村合併促進法を公布され、1956年(昭和31年)9月、八潮村が誕生した。
以後、高度経済成長による工場の進出や急激な人口増加により発展を続け、1964年(昭和39年)に町制施行、1972年(昭和47年)に市制を施行した。
近年、区画整理事業による都市基盤の整備、2005年(平成17年)のつくばエクスプレス(TX)の開業などで、街の様相は大きく変化してきている。なかでも、市南部につくばエクスプレス「八潮駅」が開業してからは、駅周辺で大規模商業施設や高層マンションが建設されるなど、新たな中心地として開発が進んでいる。「八潮駅」は、快速電車以外の通勤快速・区間快速・普通電車の停車駅だ。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)