千葉県市原市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
首都圏有数の農林業地域であり、京葉工業地帯を代表する中核工業都市
千葉県市原市は、北北東で千葉市に、東側で茂原市、長柄町、長南町、大多喜町に、南西で君津市に、西で木更津市、袖ヶ浦市にそれぞれ接している。市域は、東京湾から房総丘陵にかけて、東西約22km、南北約36kmで、総面積368.17平方キロメートルの千葉県最大の面積を誇る自治体だ。首都圏1都3県では、秩父市、横浜市に次ぐ3番目に広い都市だ。
千葉県下有数の農林業地域であり、広大な農地、森林を有しており、森林面積は君津市に次ぐ県下第2位で、県土全体の8.5%を占める。経営耕地面積(いわゆる田や畑を含み農耕地)は香取市に次ぐ県下第2位であり、県全体の3.7%を占めている。
いっぽうで、工業製造品出荷額は、愛知県豊田市に次いで全国第2位の規模を誇る京葉工業地帯だけでなく日本を代表する工業都市だ。
千葉県・市原市のマンション
2018年、千葉県・市原市で販売された新築マンションは46戸で相場価格は4011万円~4240万円。同年、同市内の中古マンション相場価格は1470万円~2450万円だった。
2019年1月現在、千葉県市原市の人口は、同市の発表によると27万6739人。総世帯数は12万6306世帯である。
温暖な気候と海・山の幸に恵まれた「いちはら」エリアには、縄文・弥生時代の遺跡が、およそ2500カ所、貝塚が45カ所残されている。
房総の地は良質の麻(昔は総と呼ばれていた)の大量産地だったことから、総の国と呼ばれていた。
上総国府が置かれた奈良平安期、江戸時代水運の要衝となる
大化の改新の後、「いちはら」に上総国府が置かれ、文化や行政の中心として栄える。姉崎地区、五井地区、市原地区にかけては、国指定史跡の上総国分寺跡・上総国分尼寺跡をはじめとして、奈良・平安時代の史跡や遺跡の集積がみられる。
江戸から大正時代にかけては、同市内を流れる養老川は、物資輸送の幹線として利用され、1889年(明治22年)の全国的な市町村制施行に伴って、同市エリアも大規模な町村合併で172カ村が、1町20村に統合された。
蘇我~姉ヶ崎間に鉄道が開通したのが、1912年(明治45年)3月。1925年(大正14年)3月には小湊鉄道の五井~里見間が、1928年(昭和3年)5月に上総中野まで全通した。
終戦後の臨海部埋め立て造成で大規模工業地帯が完成
1963年(昭和38年5月)、五井、市原、姉崎、市津、三和の5カ町が合併して市原市が誕生。さらに1967年(昭和42年)10月、南総町、加茂村を併入して1郡1市の今日の姿になった。
1957年(昭和32年)から臨海部で埋め立て造成が行なわれ、日本有数の工業地帯、京葉工業地帯の中核をなす出光興産やコスモス石油などの石油化学コンビナートを擁する工業都市として発展する。
臨海工業地域の面積は2182ヘクタールで、市街化区域面積の約4割を占めている。また、臨海工業地域を中心とする市原市の製造品出荷額は全国第2位、県内1位であり、千葉県全体の約34%を占める。
一方で、JR内房線沿いと内陸部に住宅地を持ち、市町村合併の経過や内陸部ニュータウン開発などで、市街地が分散した、分散型の市街地構造となっている。JR内房線沿いの既成市街地の外側には、内陸部の市街地と区分する、幅約1kmの農用地区が指定されている。
また、豊かな観光レクリエーション資源と広域交通軸、3つの鉄道線と4つの広域幹線道路を持つ、広域交流拠点地域であり、養老渓谷、高滝湖、県立自然公園、市民の森、海釣り施設、数多くのゴルフ場など魅力ある観光レクリエーション資源を多数有しており、平成18年の観光入込客数は、県内で7番目に多い約360万人だった。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)