埼玉県和光市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
2008年、副都心線開通。始発駅「和光市駅」が至便な優良ベッドタウン
埼玉県和光市は、埼玉県の南端にあり、西側に朝霞市、東側に荒川を挟んで戸田市に接する。南側は東京都と隣接し、市域は東京都心から15~20km圏内にある。1970年(昭和45年)、市制を施行し誕生した。同市の総面積は11.04平方キロメートルである。県内で3番目に小さな自治体だ。2015年、同市は市制施行45周年を迎えた。
埼玉県・和光市のマンション
2018年、埼玉県・和光市で販売された新築マンションは239戸で、相場価格は6008万円。同市内の中古マンション相場価格は2380万円~4690万円だった。
埼玉県和光市の2019年1月現在、人口は8万2785人、世帯数は4万1049世帯だ。生産年齢人口割合は、年少人口・老齢人口割合に比べて高く(71.6%)、平均年齢は39.6歳と県内第1位の若さとなっている。
かつての軍都は世界のホンダの企業城下町
1934年(昭和9年)に東武東上線新倉駅(現・和光市駅)が開設され、「陸軍予科士官学校」が移転してきた。それを機に、大倉財閥系で機関銃を製造していた「中央工業新倉工場」や「芝浦工作機械」、「日興航空工業」など多くの軍需工場も進出し、駅の南側を中心として人口も増加。軍需工場など小軍都として成長。戦後に、「陸軍予科士官学校」は解散となり、軍需産業は壊滅状態となった。が、「陸軍予科士官学校」跡地や「中央工業新倉工場」跡地などが米軍のキャンプ朝霞「キャンプ・ドレイク」が置かれ、基地の街として発展した。
戦後、基地の街として発展すると同時に、東京特別区に隣接するベッドタウンとして急速に発展した。また、1952年に本田技研工業が、戦前からの工場用地を買収して白子工場(現在の白子ビル)、翌年には大和工場(後の和光工場・現在の和光ビル)を完成させ東京進出への足がかりとした。現在、ホンダの工場はないが、本田技術研究所の和光本社など、同社中枢機関が置かれている。同市とホンダとの結びつきは強く企業城下町とも言える。
鉄道駅は唯一「和光市駅」のみ。が、都心へのアクセスは抜群な住宅地
市内で唯一の鉄道駅「和光市駅」には、東武東上線・東京メトロ有楽町線・東京メトロ副都心線(東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線直通)が相互に乗り入れている。池袋~和光市間は、東武東上線急行を利用することで最速13分。2008年の東京メトロ副都心線の開通を機に、東京メトロ有楽町線・副都心線は、和光市駅が始発駅となっており、都心へのアクセスは抜群に良くなった。また、朝の通勤ラッシュ時であっても、1本電車をやり過ごして並べば座って都心に通うことができるのは、ビジネスパーソンにとってはうれしい条件と言える。そのため近年、急速にベッドタウンとして注目を集めるようになった。
駅前は近年急速に商業集積が進んだ。とくに駅の南側では区画整理事業が終了し、バスロータリーのある南口駅前には、商業施設やビジネスホテル、マンションなどのビル群が林立。チェーン居酒屋、銀行、ファミレス、書店、イトーヨーカドーなどが建ち並び、日常の買い物には不便を感じることはなさそうだ。今後は北口の区画整理・再開発事業が行なわれ、商業ビルや大規模マンション開発などの活性化が進む予定だ。
市内には、重要な幹線道路である川越街道(国道254号)と県道練馬川口線が縦横に走るほか、東京外環自動車道が市内を縦断し、和光ICと和光北ICの2カ所のインターチェンジがあり道路交通も便利だ。
2001年、朝霞市・志木市・和光市・新座市の4市で法定合併協議会を設置し、新市役所を朝霞市に置くこと、2005年3月までに合併することなどが決定し、人口45万人の中核市を目指すとしていた。しかし、住民投票で当の和光市が反対多数(他3市は賛成多数)となり協議会は解散した。和光市が反対した理由は俗説だが、和光市はホンダならびに本田技術研究所の研究所ほかを擁する企業城下町。それゆえ財政力指数は優良で、「合併によるメリットは和光市には無い」と市民が考えたとされている。
ただし、近年の景気低迷による市税収入の減少で、平成23年度には26年ぶりに普通交付税交付団体となり、財政の健全度を示す健全化判断比率は健全化基準値を下回っている。これが和光市にとっての大きな懸念材料である。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)