東京都墨田区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
相撲、博物館、花火とスカイツリー、江戸下町きっての観光地
墨田区は、1947年(昭和22年)3月15日に、東京22区制施行に伴って北部区域の向島区と南部区域の本所区が合併して誕生した。
広く人々に親しまれてきた隅田川堤の通称“墨堤”の呼び名の「墨」と、“隅田川”の名の「田」からの2字を選んで名付けられたのが「墨田区」である。その隅田川の堤は、徳川八代将軍・吉宗が桜を植えたことで、下町庶民の行楽地となった。
東京都・墨田区のマンション
2018年、東京都・墨田区で販売された新築マンションは1418戸。販売価格は4658万円~7143万円。中古物件の相場は2660万円~7490万円だった。
2019年1月現在、墨田区の人口は、同区発表によると27万1859人。総世帯数は15万855世帯。人口は、東京オリンピックが開催される前年、1963年(昭和38年)の32万6000人をピークに減少傾向となってきたが、2004年以降、増加に転じている。
墨田区は、東京都の東部、江東デルタ地帯の一部にある。区の形は南北にやや長く、東西約5km、南北約6kmで、面積は13.77平方キロメートルで、東京都23区中17番目の広さだ。
地形は、海面からの高さ最高4m、最低マイナス1.2mの平たんな低地である。
江戸を代表する大興業「大相撲」の街・墨田両国
墨田区両国エリアは大相撲の街だ。初代国技館は1909年(明治42年)、両国の回向院(えこういん)隣接地に建設された。第2次大戦後、台東区の蔵前に移転するが、1985(昭和60)年に両国の地に戻ってきた。付近には当然ながら、相撲部屋の数も多い。52ある相撲部屋のうち19部屋までがこの墨田区に本拠を置いている。
JR総武線「両国駅」西口にある両国国技館は、いわずと知れた相撲の興行のための大型施設で、1985年1月場所より使用している。現在の建物は2代目だ。国技館で大相撲が開催されるのは1月の「初場所」のほか、5月「夏場所」、9月の「秋場所」だが、大相撲以外のイベントにも数多く使用されており、2020年東京オリンピックではボクシング競技会場として使用される予定。余談だが、国技館の住所は墨田区両国ではなく墨田区横網、読み方は「よこづな」と読み間違えやすいが「よこあみ」である。
江戸以来伝統の「隅田川花火大会」と新世紀の幕開け「スカイツリー」
また、両国国技館に隣接する「江戸東京博物館」は、年間180万人の来場客がある。ちなみに、初代国技館の隣にある回向院には、なかなか捕まらなかった江戸の義賊“ねずみ小僧”のお墓があり、その“強運”にあやかろうと多くの参拝客が訪れる。合格祈願や開運祈願に人気が高い。ねずみ小僧の墓前には、削り取るための墓石があり、これを少量削ってお守りとする。
現在の「隅田川花火大会」の原型となった、両国で行なわれた「川開き花火大会」は、江戸時代の1733年(享保18年)に始まった。「隅田川花火大会」は、毎年100万人を超える見物客が訪れる同区最大のイベントだ。下町情緒あふれる墨田区は、江戸時代から続く伝統的な文化遺産の宝庫といえる。
押上・業平橋エリアに2012年(平成24年)5月に開業した「東京スカイツリー」は、年間300万人を超える観光客を動員する。旧電波塔である東京タワーのおよそ2倍の634mの高さを持つ世界一の自立式電波塔。
東京スカイツリーの建設目的は、東京タワーが位置する芝公園周辺都心部で建設が進んだ超高層ビル群の影響で、TV電波障害が起きやすくなり、その問題の低減とデジタル化放送などを快適に送受信することだった。事業主体は東武鉄道が筆頭株主となる「東武スカイツリー株式会社」だ。
東京のランドマークとなり、墨田区の新しい観光スポットとなった。大規模商業施設の「ソラマチ」や「墨田水族館」を内包する。
今なお100名以上の芸妓を抱える東京一の花街
墨田区で特徴的な街が、江戸の時代から花街(料亭街)として栄え、料亭・置屋・和菓子店が多く軒を連ねる向島エリアだ。「東京花柳界情報舎」によれば、墨田区中西部に位置する下町・向島は、現在でも100人近くの芸妓を抱え、20軒ほどの料亭や置屋が立ち並ぶ東京一の花街だ。花街は、向島5丁目に位置し、夜となれば芸妓がそぞろ歩く姿も見られる。ただ、向島では「宮様から畳屋旦那衆まで楽しめる」などといわれ、下町情緒に溢れ、堅苦しいことなく遊べるところが評価されている。下町らしい飾らない芸妓衆が多く、赤坂などの超高級料亭とは異なる趣が人気の秘密。
向島の名称の由来は、「浅草から見て、隅田川の向こうにある雅な街」からとされている。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.25)