神奈川県横浜市港北区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
旧くからの住宅街と新横浜新都心で構成する国内最大の行政区
横浜市港北区は市の北部に位置し、鶴見川流域の平野部と多摩丘陵に連なる丘陵部で構成される。1939年(昭和14年)4月、都筑郡の横浜市編入に伴い、現在の港北・緑・青葉・都筑区の区域を合わせた人口5万人あまりの行政区として誕生した。港北区の総面積は31.37平方キロメートルである。
神奈川県・横浜市港北区のマンション
2018年、神奈川県・横浜市港北区で販売された新築マンションは860戸、相場価格は4729万円~6457万円だった。同区内の中古マンション相場価格は2240万円~7000万円だった。
2019年1月現在、横浜市港北区の人口は、34万6030人。総世帯数は16万9471世帯だ。同区の人口&世帯数は、市内最大であるだけでなく、全国政令指定都市の行政区で最大だ。大規模なマンション建設もあり若い世代の割合が市平均と比べ高く、出生数も市内で最大だ。
東京オリンピック、新幹線開業に伴い、急ピッチで開発が進んだ街
1960年代に、東京オリンピック開催、東海道新幹線の開通に伴って新横浜駅が開業すると、新横浜駅北部地区土地区画整理事業が開始され、横浜駅周辺・関内・関外地区に次ぐ横浜市第2の拠点として整備が始まった。また道路網においても第三京浜道路などの開通に伴い、目覚しい発展を遂げた。
1969年(昭和44年)に緑区を分区し、上菅田町・新井町は保土ケ谷区に編入された。1994年(平成6年)の行政区再編成で、区の一部である北西部地域が都筑区に編入となり、現在の港北区になった。2009年(平成21年)に区制70周年を迎えた。
東横線沿線に広がる閑静な住宅街
区内には東急東横線、JR横浜線、東海道新幹線、市営地下鉄の4線10駅がある。
1908年(明治41年)に現在のJR横浜線が、1926年(大正15年)に現在の東急東横線が開通したことにより、港北区は、横浜市の内陸部としてはいち早く市街化が始まった。昭和初期には、綱島温泉が賑わい、慶應義塾大学予科が日吉に移転し、東急東横線の各駅周辺で宅地開発が進んだ。
こうして東急東横線沿線を中心とする区東部は、低層の一戸建て住宅が中心の閑静な住宅地が広がる地域として発展。なかでも東横線の日吉駅、綱島駅には同電鉄の急行電車が止まり、駅周辺は商店街や大きなスーパーなどもあり非常に便利な街区となっている。大倉山駅前の公園も有名だ。また、日吉駅には慶應義塾大学の日吉キャンパスがある。
横浜市営地下鉄の西部はニュータウンの開発が進められ、マンションが中心の新興住宅地となっている。一方、広い区内には随所に豊かな自然も残っていることから、市内でも人気の高い地域である。
新都心として著しい発展を遂げる新横浜駅周辺
新幹線が開通する前は、横浜市内最大の水田地帯が広がっていた地域は新幹線の開業で大きく姿を変える。
なかでも新横浜駅周辺はツインコアに指定された地域で、発展著しく、2008年3月26日に19階建ての駅ビルであるキュービックプラザ新横浜が開業。同時に、すべての新幹線のぞみ号&ひかり号が新横浜駅に停車することになった。
新横浜にはじめて建設された地上42階建て149mの円柱状の高層ビル「新横浜プリンスホテル」は新横浜のシンボル的存在となった。
新横浜駅周辺は商業地区として発展し続けており、港北ニュータウンの発展も含めて企業の進出も多い。
2002年6月、サッカー・ワールドカップ決勝の舞台となり、横浜F・マリノスのホームスタジアムである「日産スタジアム」がある。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)