大阪府大阪市此花区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
かつての重工場群移転で進む産業構造の変化に伴い、今後を模索する街
大阪市此花区は、淀川河口の南部に位置し、区域は東西に長く、南北に短い。同区総面積は19.25平方キロメートルで、大阪市24区のなかで住之江区(20.61平方キロメートル)に次ぐ2番目に大きな自治区だ。
大阪市・此花区のマンション
2018年に大阪府・大阪市此花区(このはなく)で販売された新築マンションは172戸で、相場価格は不明。中古マンション相場価格は1960万円~2870万円だった。
2019年1月現在、此花区の人口は、6万7064人で、総世帯数は3万4648世帯。人口は大正区に次いで少ない。冒頭で記したように大きな面積の行政区で、人口密度は市内24区中もっとも低い。
北は淀川をへだてて西淀川区に接し、東は福島区に接する。南は安治川によって港区及び西区に臨み、西は大阪湾に面している。区内には正蓮寺川(埋め立て)、六軒家川、安治川等の河川があり、大阪湾に埋め立てによりできた人口島、舞洲・夢洲がある。
此花区域が大阪市部となったのは1897年(明治30年)4月の第1次市域拡張のときで、それ以前は西成郡に属していた。1925年(大正14年)4月1日第2次市域拡張によって当時の北区と西区の一部を併合して、第1次此花区が誕生した。さらに1943年(昭和18年)4月1日、福島、西野田の地域が現在の福島区に分離され、一方西淀川区のうち、伝法、高見の両地区が編入され現在の此花区となった。
王仁が詠んだと伝えられる古歌から引用した区の名称
1925年、区が創設される際に、区の名称として玉川区・福島区・朝日区、野田区・四貫島区などと地元からさまざまな案が出されたが、市会で議論の結果、最後に王仁(わに)が詠んだと伝えられる古歌「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」から引用して此花区と名づけられたとされる。
此花区は、戦前から水利に恵まれ重化学工業を中心として臨海工業地帯として発展してきた。なかでも北港の造成が進んだ昭和初期に、住友電工、住友金属、住友化学、日立造船、大阪ガスなどの大規模工場群が建設された。
しかし1980年代以降、産業構造の変化に伴い、工場の移転・集約や研究・開発部門への転換が図られている。
「ユニバーサル・スタジオ」、そして斬新な街「高見フローラルタウン」
西部臨海地域では2001年(平成13年3月)にテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」がオープンし、内外からの来訪者でにぎわっている。
一方、区の東部は、古くからの住宅地が形成され、高齢者が住み慣れた街で安心して暮らせるようにと開設された在宅介護拠点施設「此花ふれあいセンター」「おとしよりすこやかセンター西部館」や女性の社会参加と自立を支援する男女共同参画センター「クレオ大阪西」のほか、こども文化の振興を目的とした「大阪市立こども文化センター」、会館・室内プール等を複合した「此花総合センタービル」など、社会福祉施設や文化施設の充実を図り、住みよい街づくりが進んでいる。
また、1万人規模の住宅団地「高見フローラルタウン」が完成し、酉島地区では、工場跡地を活用して、淀川沿いにスーパー堤防と一体化した水と緑に恵まれた快適な居住空間をめざした酉島地区整備事業が完了した。
さらに、テクノポート大阪計画が進む「舞洲」は、スポーツアイランドとして大規模なスポーツ・レクリエーション施設の整備が進み、市民が気軽に参加できる「舞洲陶芸館」、磯遊びや散策が楽しめる「舞洲緑道」、眺望が美しい「新夕陽ケ丘」など、都心では味わえない都会のリゾート環境を創出している。
著:吉田 恒道(公開日:2019.12.26)