大阪府堺市北区の特徴
― ニッポンの自治体 ―
平安期に荘園で栄えたエリアは堺市行政区でもっとも人口が多い街
堺市北区は同市北東部に位置し、北側が大和川を隔てて大阪市、東が松原市に接している。西部は堺区と西区に、南部は東区と中区に接する。
同区域は平安時代から中世にかけて、豪農によって荘園が開発され、室町時代から戦国時代にかけては境港が海外貿易の主要港として発展する。戦国時代から鉄砲生産が盛んになり、江戸時代になっても国内における鉄砲の生産拠点で、軍需産業の中心地だったとされる。
大阪府・堺市北区のマンション
2018年に大阪府・堺市北区で販売された新築マンションの相場価格は2975万円~3688万円で、中古マンション相場価格は1960万円~3220万円である。
堺市北区は、2006年の堺市政令指定都市移行にともなって誕生。同区の人口は、2019年1月現在、15万9620人で、総世帯数は7万4643世帯。現在、北区は堺市7区のなかで、もっとも人口が多い行政区だ。同区域面積は15.60平方キロメートルで、堺市の行政区で2番目に小さな区だ。そのため人口密度は市内7区中もっとも高い。
年齢別人口をみると30歳代が最も多く2割近くを占め、堺市全体と比べても高い。一方で、65 歳以上の高齢者が占める割合は 20 %ほどでと、堺市の平均である 21.9%よりも若干低い。また、出生数も北区が最も多い。北区は子育て世代が多い街と言えそうだ。
966年、金岡東ニュータウン開発などで区内の宅地化が進む
明治時代に、五箇荘村、百舌鳥村、金岡村などの村が成立し、1938年に五箇荘村、百舌鳥村、金岡村が堺市に編入した。1957年に北八下村の一部が編入したことで、現在の区域が形成された。
1966年、金岡東ニュータウンの街びらき、大阪府道28号大阪高石線の開通などで、区内の宅地化が進み、1987年の地下鉄御堂筋線の中百舌鳥までの延伸で、大阪市中心部とダイレクトに直結した。
鉄道網の整備で駅周辺は商業・業務施設ほかマンション建設が相次ぐ
現在、同区内の鉄道網として、JR阪和線、南海高野線、堺市で唯一の地下鉄である御堂筋線が南北に縦断し、大阪市の中心部とダイレクトに直結できるようになった。
大阪中央環状線などの幹線道路も整備され、マンション建設が急ピッチで進んだ結果、大阪市のベッドタウンとして人口が増加傾向にある。
主な鉄道駅の周辺では、商業施設や業務施設、大規模マンションが集積し、中百舌鳥駅周辺には産業振興や起業支援の拠点として、堺市産業振興センター、さかい新事業創造センターなどが立地している。
北区には緑や水辺、スポーツ施設などレクリエーションの場を提供する機能が充実している。金岡公園には、体育館、プール、テニスコートなどが設置された運動公園。大泉緑地は、101ヘクタールの敷地に200種を超える樹木が茂る広域公園だ。区の東部には堺市立のびやか健康館(清掃工場の余熱を利用した総合的な健康増進施設)が整備されている。
また、日本最古の官道といわれる竹内街道や国指定史跡である、いたすけ古墳をはじめとする歴史文化資産があり、百舌鳥八幡宮のふとん太鼓などの伝統行事も受け継がれている。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)