大阪府和泉市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
多くの遺跡が残る歴史の街は、研究学園都市機能を持つニュータウンへ
大阪府和泉市は、大阪府南西部にある自治体だ。堺市の南に隣接する。地形は北から南へ、和泉海岸平野、信太山台地、泉北丘陵、和泉山脈と階段状に高い。市街地は平野部に発達し、古道小栗(おぐり)街道(中世熊野街道)、JR阪和線、泉北高速鉄道、国道26号、170号、480号、阪和自動車道などが通る。古くから開発され、弥生時代の大集落跡の池上曽根(いけがみそね)遺跡(国指定史跡)や239年(景初3年)銘の青銅鏡出土で有名な黄金塚(こがねづか)古墳などがある。
大阪府・和泉市のマンション
2018年、大阪府・和泉市で販売された新築マンションの相場価格は2659万円~3018万円だった。同市中古マンション相場価格は1120万円~2870万円である。
大阪府和泉市の人口は、2019年1月現在、18万6060人で、総世帯数は7万8598世帯だった。そのうち外国人登録者は2366人である。
多くの遺跡が示す旧くから賑わいをみせていた街
大阪府の南西部、泉北地域にある現在の和泉市エリアでは、旧石器時代の石器などが発掘されたことから、当時から人が集落を作っていたと考えられている。実際に市内には、土器、石器、木製品などの貴重な文化財が数多く出土した全国有数の弥生時代の集落遺跡である池上・曽根遺跡がある。
奈良時代、「和泉の国」の政治を司る国府が、現在の同市府中町に置かれ、平安時代には熊野詣の参詣道である熊野街道が同市域を通り賑わったとされている。
現在でも、「小栗街道」として当時の面影を残している。江戸時代には幕府の天領や伯太藩領となり農業が発展した。近世には、周辺農村の生産する「和泉白木綿」の集散地として知られ、明治以降は織物工業の街に発展した。
第2次世界大戦後は、台地、丘陵部の開発が進み、大阪婦人子供服企業団地の進出をみた。模造真珠やガラス細工、繊維工業などが盛んである。近郊農業として花卉(かき)栽培があり、ミカンの生産も多い。
昭和31年市制施行、大阪市のベッドタウンとして急速に都市化
1956年(昭和31年)、当時の和泉町、北池田、南池田、北松尾、南松尾、横山、南横山の1町6カ村が合併、人口約5万人の市として和泉市が誕生。1960年(昭和35年)に八坂町、信太村を編入して現在の市域となった。同市の総面積は84.98平方キロメートルである。大阪府下の市域として高槻市に次いで5番目に広い。また、和泉市は泉州の市として唯一大阪湾に面していない内陸の自治体でもある。
1970年代後半から大阪市のベッドタウンとして人口が増えて発展したエリアである。和泉の地名は、泉井上神社の境内にある「和泉清水」に由来しているとされる。
1995年の泉北高速鉄道開業で、新都心としての街が完成しつつある
1995年(平成7年)、待望の泉北高速鉄道「和泉中央駅」が開業し、1998年(平成10年)に人口が17万人を突破した。和泉中央駅周辺では、「テクノステージ和泉」における研究学園都市機能を有する企業の新たな集積や、泉北地域のニュータウン「トリヴェール和泉西部ブロック」における大型商業施設の進出、大型構想マンション群の建設、桃山学院大学や大阪府立産業技術総合研究所の設立などで、新都心らしい街並みとなっている。
また、和泉市では2017年、大阪府内では2番目となる小中一貫教育を実施する義務教育学校「和泉市立南松尾はつが野学園」が開校した。同時に、同年から市内全校区において小中一貫教育が実施されている。市内の小・中学校全校において「自校調理」による完全給食を実現しているのも特徴といえる。
また、2015年(平成27年)2月にJR阪和線の「和泉府中駅前再開発事業」が完了し、同市の玄関口にふさわしい安全で快適な街区が完成した。2016年9月、和泉市は市制60年を迎えた。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)