大阪府枚方市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
「学園教育都市」を標榜する大阪府4番目の都市、中核市の「ひらかた」
大阪府枚方市は、京都府と奈良県の県境に位置し、大阪府北河内地域の中核的な市域。淀川の左岸に位置しており、東に緑豊かな生駒山系の山々を望む地域だ。古くから人々が暮らし、平安時代には貴族の遊猟地だったとされている。江戸時代には京街道の宿場町として栄え、明治以降の近代になると近郊農村から住宅の街へと変貌する。先の大戦後は、大規模な住宅団地の開発などが進んだ。
大阪府・枚方市のマンション
2018年に大阪府・枚方市で販売された新築マンションは175戸。同市で販売した新築マンションの相場価格は3058万円~4267万円だった。中古マンション相場価格は1610万円~4410万円である。
大阪府枚方市の人口は、2019年1月現在、40万2579人で、総世帯数は18万43世帯だった。
2017年に市制70年を迎えた京阪間に位置する中核市「ひらかた」
枚方市は、1947年(昭和22年)8月、大阪府12番目の市として誕生、2017年に市制70周年を迎えた。発足当時、4万人ほどだった枚方の人口は、1960年代に急増。現在40万人を超え、大阪府4番目の都市となった。2014年に中核市に移行した。東西約12km、南北約8.7kmで、総面積は65.12平方キロメートルだ。市の中央部を国道1号線が縦断し、市の西部を京阪電鉄が、東部をJR学研都市線が走っている。
平成の大合併のころ、寝屋川市および交野市との3市で合併が協議され、人口約70万人規模の京阪間の政令指定都市構想があった。京阪間のベッドタウンとして発展しながらも昼間の賑わいには乏しい3市が、ひとつになって、文化や産業の集まる核ができれば、住民の居住地への愛着が高まると期待された。しかしながら、住民の協力が得られず立ち消えとなった。
枚方市は「都心に比較的近く鉄道交通が発達している」という特性を持ち、バブル期より地の利を生かしたマンションなど住宅開発を盛んだった。これら住宅地に住む勤労者の多くが都心への通勤者であるため、昼間人口の都心流出が顕著であった。
また、1997年JR東西線の開業、2003年の枚方駅に京阪特急停車化、学研都市線の高速化や運転系統・本数の充実化によって通勤ニーズだけでなく商業・観光ニーズにおいても都心志向が高まり、購買客までも都心へ流出させることとなり、地元商業施設の地盤沈下が続いた。
「ひらかた」という地名の由来は不明だが、奈良時代に成立した「日本書紀」には、「ひらかたゆ笛吹き上る近江のや毛野の稚子い笛吹き上る」という歌がある。同じく奈良時代成立の「播磨国風土記」にも、「河内国茨田郡枚方里」という地名が記されている。
少人数教室による利点・長所を生かした大阪屈指の教育都市「ひらかた」
1960年代から進んだ人口増加は、小中学校の不足が深刻化し、児童の増加に対応するため新設校の設立や増築が進められ、1980年代には教室の不足が解消した。小学校の児童数は1980年代にピークアウトし、少子化傾向が進むに従い学級数が減少。1999年に学校の統廃合が行なわれた。しかし、少人数による利点・長所を生かし、原則として今後統廃合は行なわない方針である。2004年には中学校校区の弾力化が行なわれ、小学校最終学年で志望中学の希望調査を実施している。
市立学校全てにコンピュータールームの導入、ALTによる英語教育、少人数授業などに積極的だ。加えて、2008年には枚方市立小中学校のすべての教室にエアコンが設置され、快適な学習環境の確保が可能となった。
全国学力調査では、枚方市の平均値は全国平均や大阪府平均を上回っており、今後も先進的教育の街として、枚方市の子供たちの学力向上を図るための教育政策として、より充実した授業が行なえるような施策を進めていくとしている。関西の公立小中学校では児童生徒の制服を定めている自治体が多いが、枚方市では基本的に私服としている。
現在、関西外国語大学、関西医科大学など市内に6つの大学があり、21世紀の新たな街のイメージとして「学園都市」を標榜しているという。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)