大阪府大阪狭山市の特徴
― ニッポンの自治体 ―
狭山ニュータウンの開発で、1960年代急速に人口増加した住宅都市
大阪府大阪狭山市は、大阪平野の東南部に位置し、東は富田林市、西と北は堺市、南は河内長野市に隣接する自治体だ。
616年に建造され、現存する日本最古の人工池とされる狭山池を市域中央に抱えた自治体だ。狭山藩北条氏の歴史と共に、河内南部地域の要地として発展してきた。大阪市からのアクセスが非常に至便なため、狭山ニュータウンの開発により、1960年代以降急速に人口が増加し、ベッドタウンとして発展した。1987年10月、府下32番目の市「狭山市」として市制施行した。ただし、先に名称を使用していた埼玉県狭山市と重複するため、狭山市の名称を「大阪狭山市」に変更する手続きが取られた
市域は、東西2.4km、南北7.0km、総面積は11.86平方キロメートルのコンパクトな街だ。
大阪府・大阪狭山市のマンション
2018年、大阪府・大阪狭山市で販売された中古マンション相場価格は1960万円~2870万円である。
2019年1月現在、大阪狭山市の人口は、同市の発表によると5万8547人で、総世帯数は2万5504世帯である。1987年10月、同市の市制移行は、大阪府下では1971年の交野市以来16年ぶりだった。
市制施行前に行った町民への新市名アンケートでは「河内狭山市」がトップで、「さやま市」が2番目、「大阪狭山市」は3番目だった。しかし、半ば行政主導で「大阪狭山市」に決まった。なお、平成の大合併時、政令指定都市昇格を目指していた大阪堺市と合併構想が持ち上がったが、2003年(平成15年)大阪狭山市議会は合併協議会の設置請求を反対多数で否決した経緯がある。堺市は2006年に独自に政令指定都市に移行した。
古い歴史と美しい自然に恵まれた「水の郷」
同市の特色は、古い歴史と美しい自然に恵まれた「水の郷」といえるのではなかろうか。歴史上の「信仰の道」として、西高野、中高野、下高野の3つの高野街道が市域を縦断するとともに、女人高野として知られる天野山金剛寺へ通じ天野街道が、市西部で西高野街道から分岐し、陶器山丘陵の尾根を走っている。とりわけ天野街道は、平安時代以来の面影を伝え、一部は市民の散策やジョギングコースとして利用されている。中世から前述の高野街道、天野街道、伊勢道などの歴史街道がとおる交通の要衝だった。
日本最古のため池「狭山池」がある街
大阪狭山市は、冒頭で記した日本最古のダム式ため池「狭山池」がある街だ。築造は7世紀前半。「古事記」や「日本書紀」にも登場し、現存するため池としては、日本最古。長い歴史のなかで、幾度も改修が繰り返され、奈良時代の行基や鎌倉時代の重源、江戸時代初期の片桐且元など、歴史上の著名な人物が、狭山池の改修にかかわってきた。
1988年(昭和63年)から始められた「平成の改修」では、総事業費447億円、実に16年という時間をかけ、過去最大規模の改修工事が行なわれた。この結果、これまで単なる灌漑用として利用されていた狭山池は、洪水調整機能を持った治水ダムとして生まれ代わった。
府立狭山池博物館では、北堤の断面や、平成の大改修で出土した東樋・石棺・重源改修碑などを見ることができる。
大阪狭山市の特産とされる「大野ぶどう」、同市の大野地区にぶどうが始めて植えられてから約100年が経つ。数々の苦難を乗り越え現在の「大野ぶどう」のブランドを確立したとされる。大野ぶどうは、他の産地に比べ、渋みが少なく糖度が高いことで有名。大野ぶどうは、主に「デラウエア」を指すが、現在では他にも多種多様なぶどうが栽培されている。他の地域とは違い、産地直売が大野ぶどうの特徴で、毎年7月から9月にかけて沿道で直売所が並び、これが同市夏の風物詩となっている。
著:吉田 恒道(公開日:2020.01.06)